映画やファッション、文学や音楽など各シーンを独自の美意識で見つめ続けてきた、コラムニストの中野 翠さん。好悪の軸がハッキリとした知的でユーモアのある文章で、40年以上も第一線で活躍されています。
そんな彼女が歳を重ねられ、「自分的シニア道」についてまとめられた『ほいきた、トシヨリ生活』が文春文庫から発売中。ナカノ流のトシヨリ・ライフにおける老いへの備えや心構えとは? 私、ライターの白央篤司が、率直にうかがってみました。
整形はイヤ! 親に対して申し訳ないって気持ちがある
中野さんといえば週刊誌『サンデー毎日』のコラムが有名だけれど(連載は36年目に突入!)、確かその中で以前に「男性は存在的に木や石に近いものを感じる」的なことを書かれていた。ゆえに加齢と共に、人によっては流木や古石のような磨かれた、深みのある風合いをたたえることもある、と。
『ほいきた、トシヨリ生活』では、良い風貌の代表格として俳優の笠智衆を挙げている。中野さんは、そんな老い方に憧れているようだ。
中野 そうなの。だけどやっぱり、そういう老い方ってむずかしいのよね。それが悩み(笑)
――そもそも、「老い」をご自身で感じられていますか。
中野 最近、鏡を見て「えっ」って思ったのよ。「私、顔が伸びたんじゃないの⁉」って。もともと面長なんだけどね、コロナでずっと人と会わずにいるから、表情筋が緩んだんじゃないかって。この先、この顔でいかなきゃいけないのーーって(笑)。だから自己流の顔面体操をやるようになりました。それで良くなるとは思わないけど、速度をゆるやかにさせるためにね、ディフェンスよ、ディフェンス。
ーー 『ほいきた、トシヨリ生活』の中で、このように書かれていたのが思い出されます。
「整形などに走るのは、私はイヤ。歳を重ねる中で、自分がどういう顔になってゆくか知りたいから。その顔の中に、母と父のおもかげを見たいから」
~『ほいきた、トシヨリ生活』から引用~
中野 やっぱり、親に対して申し訳ないって気持ちがあるよねえ。自然には抗いがたいものがあるから、しょうがない。(老いといえば)去年、家の中で転んじゃって手首を骨折したんですよ。5日間入院して、えんえんと寝てて。あれから私、頭悪くなったような気がする(笑)。記憶がパッと飛んじゃったりね。頭をボケさせないために何かやらなきゃまずいなと。
――何か、始められたんですか。
中野 まったくしてない。面倒くさいのよ。
――まったくですか。サプリを飲んだりとか、ジムに通ったりとか……。
中野 「やんなきゃな」とは思ってるけど、忘れちゃう。サプリやらも買おうかなとは思うんだけど、ひと晩寝ると忘れちゃう。そのうち、ちゃんとやろうと思ってるんだけどね。
森茉莉の生き方は「分かるわあ」という感じ
中野さんは『ほいきた、トシヨリ生活』のプロローグにまず、作家の森茉莉のことを書かれている。森鴎外の娘で、作家でありエッセイスト。ひとり暮らしで、好きなものに囲まれて、書き続けて亡くなった。彼女の生き方に憧れがあるのだろうか。
中野 (即座に)憧れはないです。目標というのでもなく、「分かるわあ」という感じ。やっぱり、面白い人だから。耽美作家であり、エッセイストであり、どっちの面も好きなんです。ただ、彼女の書くことと私の考えって必ずしも一致するわけじゃなくて、「えー、そう!?」って思うこともたびたびあるんだけど、なんか許せちゃう。
女の書き手でこんなに私を深く鋭く笑わせてくれる人は珍しいという感動もさることながら、「ぐうたら」に居直って平然としているところに、何と言ったらいいんだろう、ずうずうしいようだが、最強の同志あらわる! (それもなんと明治生まれの人の中に!)と大いに驚き喜んだのだった。
~『ほいきた、トシヨリ生活』から引用~
――中野さんは最晩年の森さんにインタビューされているんですよね。彼女の自宅に入ったことがある、貴重なひとり。
中野 あの部屋を見たら、私ちゃんとしてるほうだなって思いましたよ。どこに座ればいいのかと思ったぐらいで(笑)。茉莉さんはお嬢さん育ちで、家事能力はゼロで、世知も乏しい人だった。
「立派な生活者にはなれなくたって構わない、精いっぱい愉しく自由気ままに生きたいんだよね」と、中野さんは本の中で書いている。森茉莉の「好きに生きた」という点に強く共感されているようだった。
2022.03.15(火)
文=白央篤司
撮影=平松市聖