多数派に与していいことがあるかっていったら、絶対ない
――書く以外の楽しみって、どうですか。人づきあいなんかは。
中野 社交的ではないので、(その人のことが)面白いな、と思ったら。それだけですね。
――友人関係は「年長だろうが年下だろうが、有名・無名関係ない」と書かれていたのも印象的でした。「面白いとは正直思えないけど、社会的地位があるから一応つきあっておこう」なんてことは……。
中野 それができないのよねえ、顔に出ちゃうらしいのよー。相手もバカじゃないから「嫌われてるな」って思うんじゃない? でも、お互い苦手なわけだからそれでいいじゃない。ありがたいことに、(そんな私を)面白がってくれる人たちもいたもんだから、ここまで図に乗ってきました。
子どものときから、グループの中で気を配ったりとか、こんなこと言ったら嫌われるかもとか、ほとんど考えてこなかった。ふり返ってみると、変だったのかな。私の妹はどっちかというと大人しくて「無難に、無難に」ってタイプ。無難もいいけど、私は「それで? 楽しいわけ?」って思ってしまうのね。そもそも苦手なのよねー、群れることが。
でも、無意識のうちに私の言うことが通じる人をずっと探してもいて、だから子どものときから孤立することはなかった。必ずひとりふたりは分かってくれる友達がいたから、「これでも大丈夫ね」って。
と言いつつ、「他の業界では通用しないって分かってます、ハイ」と付け加える中野さん。「『世間の基準』ってものがいつまでも分かんないのよね」と続けた。そこを「分からなくてもいいや」と突き通してきたことが、アッパレというかお見事というか、見上げるような気持ちで聞いていた。
中野 これでも、一応わきまえてるつもりなんだけどね。世間的に見ると変わってるのかもしれない。「こういうのは恥ずかしい」とか「こういうのがカッコいい」とか、美意識みたいなものは昔から多数派じゃなかった。多数派に与していいことがあるかっていったら、絶対ないって確信をずっと持っちゃってるから。
――あの、中野さん。自分に足りないと感じる部分って、ありますか。
中野 (しみじみと)いっぱいありますよ……。でも、今さらっていうね……(笑)。もう(改めるとか直すとかは)無理だろうと。でも、細かく努力はしてるんだけどねえ。まあ、しょうがない。
一生懸命考えてもダメだなと思うときは「寝よう」って切り替えてる。あんまり考えすぎると変な深みにハマっちゃうし。自分が納得できることを見つけるにはやっぱり考えるしかないんだけど、考え詰めないようにしてますね。ロクなことないから。そういうときはひと晩休んで、寝る。
――泰然自若という感じですが、ずっとそういう考え方ができてたんでしょうか。たとえばCREAの読者さんは30代や40代の方も多く読まれていますが、常に将来的な不安を感じている、と悩まれる方もいると思います。
中野 私もそのぐらいの年代のときは、けっこう不安でしたよ。「これからどうなるんだろう」って。フリーランスで生活の保障もないからね。でもねえ……性格的にあまり深刻に考えられないのよ。これは長所かもね。母親に似てるの。シリアスに考えられないのね、「ま、いっか」「どうにかなるな」って。
貯金したり保険への加入を考えたり、あるいは健康食品を買ったり。老いに備えていろいろなことを人間やるものだが、そういうのもすべて「面倒くさい」と即答だった。中野さんはこのインタビューの中で一体何回「面倒くさい」と言われただろう。
中野 心配し始めたらキリがないじゃない。いつ交通事故に遭うかだって分からないんだし。気をつけてても災難に遭うこと、あるわけじゃない。なら楽しいことを考えましょうよ、ってね。
2022.03.15(火)
文=白央篤司
撮影=平松市聖