「セイロン亭の謎」のほうでは、狐っ葉事件が具体的にどのようにして行われたかは書かれていないが、「おんなみち」ではそのからくりが詳細に描かれている。もちろん作品の性質上、この作品では過去の事件としてその内容を省略しているが、もし、その辺が気になる方は、「おんなみち」を読まれてみるのもいいかもしれない。
セイロン亭は、主としてセイロン紅茶を客に出す店という設定だが、平岩がセイロン島、いまは戦後名前が変ってスリランカに旅したのは、この作品を書く十年ほど前のことだった。
小説の中でも〈金はなかったが、時間はあり余っていた頃だったから、セイロン島の殆(ほと)んどを歩き廻(まわ)った。〉と書いているように、この時の旅行も、二週間ほどかけてゆっくりと観て回った。実際はテレビ脚本や舞台の台本、連載小説とかなり多忙な日々だったが、まだ若いということもあって、かなりのハードスケジュールをこなしていたのだ。
冒頭にも、これまでに刊行された単行本の数が三百数十冊に上ると書いたが、このほかにもテレビ脚本、舞台台本などを入れると、その量は膨大なものになるだろう。
作家の価値は作品の内容であって、量の多さでないことはもちろんだが、それにしても、なぜこれだけの作品を書くことができたかということは、セイロン亭ならずとも少なからぬ謎であるかもしれない。
その答えの第一は、彼女の作品が読者や視聴者の方々から長期間支持していただけたことだろうと思う。いくら作家が作品を書きたいと思っても、プロであるかぎりは、注文がなければどうにもならないわけで、その点、本当に仕合せな作家だった。
第二は、健康にめぐまれていたことだろう。ハードなスケジュールをこなすには、人並以上の健康を保持する必要がある。一晩に百枚くらいの原稿用紙をうめるということは、精神的にも肉体的にも想像以上に苦しいことなのだ。それをこの作家はこれまでに何度もこなしているし、五十枚程度なら、毎月、何度かのハードルを越えている。もっともこれは、単に肉体的な健康に恵まれているからといって出来るものではなく、それと同等か、むしろそれ以上の精神力の強さがともなわなければ不可能なわけだから、この答えは、心身の健康に恵まれていたからという方がより適切かもしれない。
2023.02.24(金)
文=伊東 昌輝(作家)