2022年5月にお届けした小川哲さん初の自伝的青春小説「#001 walk 」。その第2弾にあたる短篇を、読み切りでお届けします。
#002 Butter-Fly
世の中には、野暮な人間がいる。
野暮な人間は「お前、野暮だな」と言われると、「野暮ってどういう意味だよ。具体的に何が悪いのか説明してくれないとわかんないよ。『野暮だ』とか『無粋だ』とか『しひて言ふもいとこちなし』だとか、曖昧な表現でなんとなくお茶を濁しやがって、源氏物語じゃあるまいし。そうやって日本人の侘び寂びみたいな伝統を利用して、説明責任を逃れようとしているだけだろ」などと反論を始める。
すると、「そういうところが野暮なんだよ」と笑われる。
僕のことだ。
僕は野暮だろうか? たぶんそうだ。
でも、この「野暮論法」の怖さだけは伝えておきたい。何を言っても、「だからそれが野暮なんだ」という言葉を返すだけで、反論をすべて無効化できてしまうのだ。そんなのは思考停止だろう。そして思考停止は、牛乳に氷を入れることと並んで、この世でもっとも重い罪のうちの一つだ。
だからある時期までの僕は、自分のことは棚に上げて、「野暮」という言葉を使う人間と、牛乳に氷を入れる人間とは関わらないと決めていた。
僕が心を変えたのは、僕よりも野暮な人間に出会ったからだ。島内という、大阪で生まれ育ったのに標準語で喋る男だ。
大学三年生のとき、夜七時くらいに、急遽島内に呼ばれて渋谷で飲んだことがあった。島内は自分で呼び出しておいて、「お前、暇だな」と言ってきた。その時点でなんらかの「野暮」なのだが、島内はさらに「何してたの?」と聞いてきた。僕は正直に「何もしていなかった」と答えた。
「何もしていない、なんてことはあり得ない」と島内は主張した。「人間は常に何かをしているからな。テレビを見ていたとか、ゲームをしていたとか、本を読んでいたとか、寝転がって考えごとをしていたとか、常に何かをしているはずだ。『何もしていない』なんていう虚言で誤魔化そうとしても、俺には通用しない」
それまで色んな人に「野暮だ」と言われて辟易してきた僕でさえも、島内という人間に出会って初めて「野暮」という犯罪の重さがわかったほどだった。
「いや、本当に何もしてなかったんだよ」と僕は言った。
「そんなことはあり得ない」と島内は強固に主張した。「何かをしていたはずだ」
僕は「じゃあ全部話すけど」と言って、「何もしていなかった」ということがどういうことか、正直に説明をした。
2023.02.10(金)
文=小川 哲