1899年(明治32年)、夏。陸軍軍人の高木は帝政ロシアの内情と日露開戦の可能性を探るため、通訳の細川と敵地ハルビンに潜入する。暖をとれる「燃える土」があるとの情報に、ふたりは桃源郷「李家鎮(リージャジェン)」を目指す。

 小川哲さんの長編『地図と拳』は中国東北部の満洲が舞台。日露戦争前夜から、満洲国の建国と消滅、そして日本の敗戦まで、“理想郷”の半世紀の盛衰を描く。

「この都市はほぼ架空ですが、都市計画自体はありました。建築家の高山英華らが立案した『大同都邑(とゆう)計画』というもので、図面などが遺されています。計画通りにできていたら、人の数だけ思惑が交錯する坩堝(るつぼ)のような満洲という国のミニチュア、メタファーとして描けるのではと思いました」

 未来を見通す「千里眼」と弁舌で人を巧みに操り、荒涼としたその都市を支配するのが、李大綱(リーダーガン)だ。道場「神拳会」では、妖術を体得すべく弟子たちが修行に励む。そこで頭角を現したのが、孫悟空(ソンウーコン)だ。

「実際に義和団(ぎわだん)では、神を自分に降ろして強くなる秘術が行われ、その神によって、孫悟空などと名乗っていました。実際は関羽だらけだったようですが(笑)。義和団事変後、列強の侵略はエスカレートする。日本も勝ち馬に乗って侵出、日露戦争で人命と金を注ぎ込んで辛くも勝ったことで引けなくなり、第二次世界大戦へ突き進みます」

 細川は、日露戦争中に孫と交渉して協力を取り付けたのを皮切りに、李家鎮改め「仙桃城(シェンタオチョン)」の開発に邁進する。〈満洲という白紙の地図に、日本人の夢を書きこむ〉。日本人と他民族が融和し共生する、「五族協和」の理想国家を作るために。

 物語中盤、東京帝大工学部1年の須野明男(あけお)が仙桃城都邑計画に参画する。計測魔で完璧な都市を作ろうとする彼は、ダンサーの孫丞琳(ソンチョンリン)に出会い、惹かれていく。だが、彼女は抗日ゲリラ「赤銃会」の戦士だった。

2022.09.08(木)
文=「週刊文春」編集部