レストランの主人は、ワインの関係でその貿易商とは親しく交際していたので、邸内の間取りや、地下室の構造などは熟知しており、まるで掌(たなごころ)を指すように説明してくれたそうだ。

 異国情緒あふれる神戸といい、謎にみちた異人館といい、小説の舞台として作家の夢をふくらますにはもってこいの場所だったわけだ。

 この神戸の旅の収穫はもう一つあって、小説の終りの方に出てくる須磨寺(すまでら)は、やはりこの時に訪ねており、その時、たまたますれ違った品のよい老婦人の印象が、のちに長田けいの母親であるレナード夫人こと高見沢安奈として描かれることになった。

 モデルとなった人物についていえばもう一つ、おもしろい話がある。

 奇妙な洋館の話を聞いたのと同じ頃、平岩はやはり同じ神戸の元町で、とある中華料理店の前に人の行列ができているのを見て、その最後尾についた。ちょうど昼食時だったのと、行列ができるほどの店なら味もよかろうと思ったからだ。

 あとで考えると、並んでいる人のほとんどが中国人で、しかもフォーマルな服装だったから、おかしいと思うべきだったのだが、そのときは空腹だったため気がつかなかった。

 しばらくして先頭に近くなったとき、その行列が、じつは食事の順番を待つためではなく、その家の法事に参列するためのものだったことが分った。

 店内は道教風な祭壇が設けられ、その傍(そば)に主人らしいやや赧(あか)ら顔の老人が坐(すわ)っていた。

 ここまで来てはもう逃げるわけにもいかず、平岩は前の中国人にならって主人に挨拶をしてから、祭壇の写真に拝礼し、戻ろうとすると、店の者に呼びとめられてラーメンを一杯供された。たぶんこれは参列者に対するお礼か、被葬者への供養(くよう)のためだったのだろう。

 ところが、このラーメンの味が抜群にうまく、それからというもの、神戸へ行くたびにこの店に寄るようになったという。

 ずいぶんそそっかしい話だが、そのお蔭(かげ)で味の名店を発見することができたと、当人はむしろ誇らしげだった。

2023.02.24(金)
文=伊東 昌輝(作家)