そして第三番目の答えは、好奇心がひじょうに旺盛(おうせい)だということだろうか。かといってこれを誰よりもとか、人一倍といういいかたも適当でないような気がする。むしろ自分の好きなものに対して、それをあくまで追求するというか、いつまでも興味を失わないというべきなのかもしれない。

 時代小説の原点となっているのは、江戸時代とあまり変っていないような環境の神社に育ったこと、娘時代から好きで始めた日本舞踊、長唄、三味線、仕舞、また芝居見物、読書など。現代小説の原点はこれももちろん少女時代からの読書や観劇、それに旅行好きなことも大事な要素の一つになっているのではないだろうか。

 人間をニワトリに例えて恐縮だが、ニワトリは一生のうちに産む卵の種をすべて腹の中に持っていて、それを次々と産んでいくのだという説があるが、この作家も、どうやらニワトリと同じで、若い頃、書きたいもののすべての種を胸の奥に貯蔵してしまい、それを次々と作品として産みだしているような気がするのだ。

 いいかえれば、若い頃に抱いた或ることへの興味をいつまでも失わず、大事に育ててきたからこそ時代物、現代物、戯曲などと多方面にわたる活躍が可能だったと思うのである。

 そして最後に、これは以上の三つをはるかに超えるものとして、学識とか理論とか主義とかでなく、不幸や苦しみ、悩み、辛(つ)らさを逆に喜びや楽しみや、希望に変換していくことのできる温かい心、豊かな心を持っていることではないかと思う。それは、長谷川伸というよき師に恵まれ、しっかりとした日本人の背骨を持つ両親のもとに育ち、戸川幸夫、村上元三、山岡荘八などというよき先輩諸氏にめぐまれた結果にほかならない。

 作家としていよいよ円熟期にさしかかっているこれからが、多分、彼女にとって本当の意味での真価が発揮されることになるのではないだろうか。大いに期待するところである。

(平成十年一月)

2023.02.24(金)
文=伊東 昌輝(作家)