何故こんなことを書いたかというと、じつはそのときの中華料理店の主人をイメージして、この小説の中にでてくる宋一波という人物を描写したといっているからだ。

 平岩は、或る作品を書きはじめる前、たいがいの場合、大学ノート一冊分くらいの創作ノートを作成する。その中には登場人物たちの経歴や系譜、性格などが綿密に書き込まれている。その小説の舞台となる土地や歴史を調べることはもちろんだが、それぞれの登場人物にたいして、実在の人間をイメージとして重ねているということを、今回、この解説を書くにあたって、亭主である私もはじめて知ることができた。

 たしかに、そのほうが人物を描写する場合、書きいいだろうし、動かしやすいに違いない。読む側としても、リアリティを感じることになるのだろうと思う。

 この小説を面白くしているもう一つの要素は、お茶の輸出をめぐる詐欺(さぎ)事件を物語の背景に据えたことだ。

 まだ発展途上国だった頃の日本にとって、もっとも重要な輸出品は絹とお茶だった。たとえば、第二次大戦前の女性のストッキングは絹で作られており、お洒落なアメリカ人女性などは戦争がはじまると日本からの絹の輸入がとまるといって、恐慌をきたしているなどという話が海のかなたから伝わってきたほどだ。

 お茶をめぐる詐欺事件、いわゆる狐(きつね)っ葉(ぱ)事件もたびたび起ったようで、平岩はこれを題材にして、「おんなみち」という小説を書いている。昭和四十二年十一月から静岡新聞に連載したもので、時代は明治の中頃、静岡の茶問屋をめぐる詐欺事件と、その店のひとり娘世津の波乱にみちた人生を描いている。

「セイロン亭の謎」を書く前の、構想の段階で、おそらく「おんなみち」の事件は作者の頭の中に浮かんでいただろうと思われる。

 この小説の主人公矢部悠の実家の茶問屋は静華堂であるのに対し、「おんなみち」のほうは清華堂となっていることからも、それがうかがえる。

2023.02.24(金)
文=伊東 昌輝(作家)