無差別通り魔事件のその先へ――

 これまでも自身の作品の中で、犯罪をめぐる「罪」と「罰」について、真摯に向き合い続けてきた薬丸岳さん。本作では物語の冒頭、多くの人々が行きかう渋谷のスクランブル交差点で、浜村明香里が突然、男に斧で襲われ、彼女を助けようとした飯山晃弘が命を落とす。逮捕された容疑者の小野寺圭一は、劣悪な環境で育ち16歳まで施設で過ごしていた。

「きっかけは数年前に新幹線内で起こった通り魔事件です。特定の誰かが狙われたわけではなく、無差別に二人が重傷を負い、助けに入った男性一人が亡くなりました。犯人は裁判で『刑務所に入りたかったから』と動機を語り、結果、無期懲役判決を受けたわけですが、誰でもよかったという身勝手な言い分に、どうにもやり切れない理不尽な怒りが募りました」

 もっとも新作で挑んだのは、犯罪が起きた理由や背景を解き明かすことに止まらない。さらにその先、しかも被害者と加害者の双方を描くミステリーを模索した。

「実際の事件では犯人が逮捕され、裁判で判決が下されると、その後のニュースを聞かされることはありません。けれど、被害に遭われた方や家族の苦しみはずっと続いているはずです」

 数カ月に及ぶ入院生活を余儀なくされ、顔や身体にはもちろん、心にも深い傷を負った明香里は、長年の恋人に別れを告げ、実家へと身を寄せる。一方、ライターの溝口省吾は、犯人の小野寺をかつての自身と重ね合わせ、彼の悲惨な過去へ迫っていく。

「重苦しい話は書いていてもしんどいので、本音ではやりたくない気持ちもあるんですよ(笑)。でも、今回も書かなければいけないと何かに強く背中を押され、ずっと考えていたのは、人に害を為したり、絶望に叩き落とすのも人ですが、人を絶望から救ってくれるのも人なんです。ただ、無条件に待っているだけで、誰かが救ってくれるというわけにはいきませんけどね」

 一時は自暴自棄に陥りながら、やがて明香里は、自分を救うため命を落とした、飯山が最期に言い残した「約束は守った……伝えてほしい……」という言葉の真意を探るべく、恋人だった東原航平とともに動き出す。さらに薬丸さんは2008年からスタートした裁判への〈被害者参加制度〉も終盤の重要なモチーフとして採り入れた。

「耳目を集める事件が起これば、SNSなどネットに色んな書き込みがなされますが、一方的でなく重層的な視点でみてほしい。そして20代で絶望する若者にはまだ早すぎる、と少しでも感じてもらえたらと願っています」


やくまるがく 1969年兵庫県生まれ。2005年『天使のナイフ』で江戸川乱歩賞、16年『Aではない君と』で吉川英治文学新人賞、17年「黄昏」で日本推理作家協会賞ほか。


(「オール讀物」2月号より)

2023.02.13(月)