それに、宝塚時代の習慣も影響しましたね。長いことトップを務めていたでしょう。何があっても休まない、休めないというバカげた信仰に近いものを持っていて。風邪で39度以上発熱しても、剥離骨折しても出演していましたから。だって、しゃあないもの。67年の『シャンゴ』という演目は稽古が過酷で、稽古場に看護師が控えていたことが語り草になっていますが、あの時はむち打ち。首が据わらないので、人に首を支えてもらって食事して舞台に出ていました。けっこうムリしていますねえ、こう振り返ると(笑)。

 私が宝塚で学んで最もよかったと思うのは、成せば成るってことなんです。頑張ってやれば、必ずできる。我慢もそうした過程で覚えましたが、病気に関してはまったく悪いほうに出ちゃいましたね。主治医によると、緊急搬送される6年くらい前からSLEを発症していたようです」

安奈淳氏のインタビュー「『ベルばら』50年『一本の木で死にたい』」は、月刊「文藝春秋」2022年1月号、および「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

2023.02.15(水)
文=安奈 淳