「退団が31歳、その直後からですね、不調を感じ始めたのは。最初はC型肝炎。ひどい黄疸でしたが、芸術座公演が決まっていたのでそのまま出演しました。医師から、『全責任は患者にある』と一筆書かされて。あの芝居の私の役は高貴な方で、白塗りのおすべらかし。そんな分厚い白塗りでも隠しきれず異様な肌色で演じていました。
入院したのは千秋楽後です。肝炎は何年間も治らないままで、そこにもってきて今度は髄膜炎。突然、ハンマーで頭を叩かれたような衝撃で、ベッドから転げ落ち救急車で運ばれました。病院で髄液を採ったら真っ白でした。普通は透明に近い色なんだそうです。これが確か37歳。若かったこともあり楽観的に構えていましたが、今から思えば、肝炎も髄膜炎も、その後30年以上続く闘病生活のほんの序章だったのです」
20キロ増「足は象のよう」
——C型肝炎で入院された直後に、まだ58歳の若さだったお母様を亡くされました。また、ご自身は35歳で結婚され、髄膜炎の翌年に38歳で離婚。その後、改名もされていますね。
「そう、漢字を変えて『安南潤』。あんまりおかしなことが重なるので、姓名判断の方に頼んで。すぐ戻しましたけれど。しかし、名前を変えようが戻そうが体の不調はいよいよで、全身が冷え切って指先が蝋燭みたいに白くなったり、朝起きても、お風呂で30分も温めないと体が動かないほど筋肉や関節が痛んだり。
そのうちに浮腫(むく)み始めて、体重が20キロも増えてしまいました。足はまるで象のようで、靴を履けないから舞台では裾で隠して草履、足袋だって入らないから足袋カバー。舞台袖に畳を敷いていただいて、自分の役目が終わったら横になり、再び出る時には人に抱えられて起きて。
あんな状態で仕事していたなんて、自分でもバカじゃないのと思うのだけれど。『単なる疲労、いずれよくなる』と健康を過信して、病院には行かず、鍼灸や整体、漢方などで凌いでいたんです。
2023.02.15(水)
文=安奈 淳