「僕自身は本意ではなかったり、後悔を残した人生というのは肯定的にとらえています。命の危機にさらされた時でも、まだやり残したことや何か執着があった方がそこは気合が入るでしょう。思いどおりにいかなかった人間の一生の方が、実は意外におもしろいんですよ」

 なんだか先生の、意地悪く微笑むお顔が目に浮かぶようだ。

 そんな「思いどおりにいかなかった人間」としてピックアップされたのが、各章の登場人物――明智光秀、松永久秀、伊達政宗、長谷川平蔵、勝海舟――である。

 歴史にさほど明るくない私でも、「おお!」と手を叩きたくなるほどのオールスターだ。でも松永久秀はけっこう好き勝手して果てた気がするし、長谷川平蔵はどうしたって鬼平のイメージが強い。どこが「本意に非ず」なのかと不思議に思いつつ読み進めると、ふむむむ、なるほど。たしかにそういう心理状態だったのかもしれないと唸らされてしまう。

 史実と史実の隙間に存在した「かもしれない」人間の葛藤を、掬い上げるのがうまいのだ、上田秀人という作家は。それは歴史小説のみならず、数々の時代物シリーズにも言えることである。後者のほうが史実の間に差し挟まれるフィクションの分量が多いというだけで、基本的な創作法は同じなのではないかと邪推している。

 それにしても上田先生が描いて見せる葛藤の、なんと多彩なこと。たとえば第一章の「逆臣」では、明智光秀の謀反の理由が描かれる。しかし先生はこれ以外にも、本能寺の変を多く手掛けているのだ。

『天主信長〈表〉 我こそ天下なり』『天主信長〈裏〉 天を望むなかれ』(講談社)、『傀儡に非ず』(徳間書店)、『布武の果て』(集英社)などがあり、興味深いことに、光秀の謀反の理由がどれも違う。それなのに一作一作読むたびに、「本能寺の変の真相はこれだったのかもしれない!」と、まんまと思い込まされてしまうのだ。

 おそらく史料を丁寧に読み込み、歴史上の人物の人柄や心情を解きほぐしてゆく中で、いくつもの葛藤のパターンが見えてくるのだろう。その手腕が他の章でも、存分に振るわれている。どの登場人物も従来のイメージとは違うのだが、それでもすんなりと受け入れられてしまうのは、史実から窺える彼らの行動と、上田先生が掘り下げた内面に、矛盾が感じられないからである。

2022.12.28(水)
文=坂井 希久子(作家)