「自分が出ている」ではなく「監督がこの映画を撮る」ことに意味がある

――広瀬さんと李監督のフィーリングが合致していたからこそなのでしょうね。逆に、俳優としてのご活動のなかで、必ずしも自分の中の「これだ」という答えと、演出側から求められる答えが一致しない場合もあるかと思います。そういった場合は、どう対応されてきたのでしょう。

 今までは、わからないことをわからないままやることが作品を壊すんじゃないかという想いがありました。というのも、『怒り』で10代で“李組”を経験したときに「絶対に嘘をつかない方がいい」と感じたから。嘘をついてまでやる表現がどこまで正しいんだろう?と考えて、現場でもわからないものは「わからないです」と伝えるようになりました。

 ただ、自分自身も色々と経験を重ねて「映画自体はこう見えた方がいいから、自分の『わからない』よりも一回結び付けてみよう」と切り替える瞬間も増えてきました。もともと「自分が出ていることに意味があるのではなくて、監督がこの映画を撮ることに意味がある」と思っているので、わからないことは「わからない」と素直に伝えつつ、自分が応えるべきなんだなとは考えています。

 だけど……結構顔に出てしまうんですよ。「いま“映画の嘘”ついてます。わかんないままやってます」って(笑)。私自身があんまり器用に隠せるタイプではないので、基本的に「嘘はつきたくない」が自分のやり方としてはあります。ただそれをできているのは、監督さんも共演者の方々も、協力してくれる方々としかやってきていないから。そこには本当に救われています。

――その方法論には、きっと高い感受性が不可欠ですよね。広瀬さんご自身が感受性を保持するためのトレーニングやルーティンなどはあるのでしょうか。

 なるようになると思っているので「意外と全部気分に任せる」というのは、ずっと変わらないスタンスです。「自分はこういう人だから」「自分はこういうのが好き」がなくはないですが、こだわるよりもフットワーク軽めでいたほうが自分の知らない世界にふっと出会えたり不意に興味がわいたり、新しい出会いがあるような気がしているので、全然きっちりしていないんですよね。気分で全部動いて感じて……といったスタンスが、お芝居につながっている気がします。

2022.04.29(金)
文=SYO
撮影=平松市聖
ヘアメイク=奥平正芳
スタイリスト=丸山晃