さまざまな場面で出くわす恋愛至上主義的な価値観
ドラマに出てきた“恋する肉じゃが”という安直なキャンペーン。それに対して部長は「恋しない人間なんていないからな」とご満悦な様子なのですが、そこに潜む、恋愛を当たり前とする恋愛伴侶規範(世界でたった一人の特別な人と恋して結婚して幸せになること!)や価値観を揺さぶるのが今回のドラマの役割となっています。そう、世の中ではなぜか恋愛関係を全員が求めていることになっています。
現にちょっと検索してみただけでも、ドラマで出てきたような「恋する○○」という言葉やネーミングは思った以上にヒットします。かつてはその代表格であった「恋するブラ」をはじめとして、「恋するいちご」「恋する素麺」、はたまた「恋するiDeCo」なんていうものまで……。なんでも恋するじゃん……。こうなると「恋する」なんて言葉はただの無意味な枕詞でしかないじゃん、という気持ちにもなります。
というのも、「恋する」ことを謳って消費を煽るのは日本では定番。理にかなっているということなんでしょう。そこには現代資本主義的な社会発展のためのひとつの要素として、日本では恋愛や性愛が消費を後押ししてきたという現状と実績があるからです。
たとえばブライダル関連やラブホテルなど、恋愛やセックスに関する産業は昔から数多く存在しています。さらに、マーケティングが恋愛を消費行動と結びつけて、いつの間にか消費がひとり歩きをはじめるような現象も。
バレンタインデーが近づくと、高級なチョコレートが店頭に並び、ホワイトデーになると送られた以上のお返しを求められるのが社会通例になっているのもそれです(バレンタインデーはもはや恋愛イベントではないと感じている人も多くいて、それは心強いことだなぁと思います)。
社会は消費を促すためにも「恋愛」を善として煽ってきます。恋愛をしてもらった方が金が動くから、余計に社会全体が恋愛を売り物にしてきます。しかしその結果、今では「恋愛はコスパが悪い」なんて意見もチラホラ。「草食系」「絶食系」なんていう言葉が生まれたりして、恋愛に対して積極的でない人の数も増えつつあります。
基本的に恋愛はするけど、今はひとりでいることが苦にならない人もいるし、今は趣味や仕事が充実していて恋愛に貴重な時間を奪われたくないという人もいるでしょう。それも全然ありです。
ですが、それはアロマアセクとは別物。恋愛を休んでいるというわけではなく、「恋愛をしないことに理由はない。ただそういうセクシュアリティだから」という人もいるんです。
恋愛することが当たり前という前提のもとで、恋愛をしていない人に対して「理想が高いだけでしょ」「本当に好きな人に出会えてないだけ」などと声をかけてしまうことがあるかもしれませんが、当事者に対して恋愛至上主義な考え方を押し付けてはだめ。まず「本当に好きな人」と恋愛やセックスをする必要があるのか、自問してみてください。大事なのは理解の前に尊重なんです。
それにドラマの第一話で咲子が高橋に対して、アロマアセクについて興味津々に矢継ぎ早に質問するのですが、セクシュアリティにまつわる会話はとても個人的な話題。それを聞かれるのも話すのもある種、恐怖です。何でも聞けば答えてくれるわけじゃない。答えたくない人もいるし、そんな質問を耳にしたくない人もいるし、わからない人もいる。ずかずかと相手のプライバシーに踏み入るように接するのはアウトなので、まずなんでも自分で調べることからはじめましょう。当事者は解説者ではないので。
それに劇中では咲子に恋愛感情を抱く男性が何人か登場しますが、たとえばアロマアセクの人物を好きになったとしても、恋愛やセックスを強要するのはもちろんNG。セクシュアリティを無理やり矯正させようとする行為は、ひどい人権侵害にあたります。
ドラマではどうしても「当事者が抱える苦しみ」という部分がしっかり描かれてしまうので、観ていてつらくなるシーンもちらほら。親や同僚からも無理解な言葉をかけられてしまうのですが、フロンティアスピリットで恋愛前提のテレビドラマの世界に駆け出すにはまだその苦しいマイクロアグレッションの描写は避けられない、という部分もあるのでしょう。
2022.03.13(日)
文=綿貫大介