3 UDAさんの『kesho:化粧』
着る服を変えたとき、なによりも迷ったのが化粧かもしれません。美意識っていろんなところに宿ってますが、その中でもアイコニックな存在は顔だと思います。時代や国によっても、美人の方向性は変わりますが、私がティーン向け雑誌を読んでいた頃は盛りメイクの全盛期。その根底には根深い欧米信仰があったように思います。振り袖にギャルメイク、という姿で成人式にも出ていました。最近の10、20代の方は韓国や中国の化粧文化を上手に取り入れているなぁと思いますが……。
メイクアップアーティストUDAさんの『kesho:化粧』という作品集を見て、化粧に対する考え方が変わりました。「陰影をつけてドラマチックにする」西洋人寄りの立体的なメイクが主流でしたが、平たい顔である場合、平面の余白を活かし、そのバランスのなかで「ちょっとした色の滲みや色合いの優しさ」を出すほうが合うんじゃないか、と書いてあります。主張よりも調和、という価値観は日本料理にも通じるような。
四季折々の言葉に合わせてお化粧が施された様々な写真が収められていますが、過度に盛らずにその人のもっている素材をちょっと整えたり、その人らしさを静謐に引き立たせている。
毎朝の化粧の時間に、実はコンプレックスを小さく積み重ねていたかもしれません。色を白く、目を大きく、鼻を高く……と盛っていくプロセスが、じりじりと自己肯定感を下げてしまう。別人になり、活力を得るのもメイクの魅力ですが、毎日演技をし続けるのは少し疲れてしまう。
そこにある素材を活かすというヴァナキュラー建築の考えにも近しいですが、この本と出会ってから、化粧の時間が少しずつ自分の美意識と向き合う肯定的な時間へと変化しつつあります。とはいえ、まだまだ道半ばです。
4 三谷龍二さんの皿
マンハッタンのイーストヴィレッジにナラタ・ナラタという、アートギャラリーのようなお店があります。日本の生活雑貨を中心に置いているのですが、そのお店を運営する若いカナダ人カップルは、コロナ前は頻繁に日本を訪れ、産地で職人さんと話をしたり、関係性を築いたりしていました。とても誠実で、審美眼が鋭いふたりです。
そこで三谷龍二さんの個展が開かれて、レセプションに行ったことがあります。お店に入り切らないくらいにお客さんが集まっていて、みなさんすごく熱心に三谷さんとお話しされていました。ピカピカの量産品ばかりが並ぶニューヨークですが、そんな中でも手仕事の器や作品を介して、ひとつのうねりが出来ていることに感銘を受けました。「陰翳礼讃」のような日本の美意識を深く学んでいる方々もいて、私の親友となった画家のAesther Changもこのお店でバイトしていたり。単なるお店ではなく、メディアであり、コミュニティでもあるように感じました。
私も2つだけ三谷龍二さんの豆皿を持っているのですが、小さくて丸いのに、なんともビターな仕上がりで、なにを置いても様になる。落ち込んだ日なんかは、部屋の電気を落として、好きな音楽をかけて、この豆皿に和菓子を盛り付けて「あぁきれい」としみじみしながら、自分を励ましています(笑)。
でも、今日の日本の住宅って基本的にはとても明るいですよね。日本画を描いていたり、器を作っている方の話を聞いていると、マンション暮らしの人にも使いやすいように掛け軸をパステルカラーにしたり、白い壁紙に馴染むつるんとした器を作ったりしていて。そうしたものづくりは、主要な顧客層であるマンション住まいの方々が暮らす「明るい蛍光灯と白い壁紙」を基調にしているように感じます。
でも、古い器や、漆塗りの器は、真っ白な空間で煌々と照らされると少し恥ずかしそうで……。生活空間のなかの陰影、そこで見える人やものの美しさを見えなくしてしまっては本当にもったいない。こうした器が欧米で評価されているのは、間接照明がメインの欧米の居住空間の暗さも少なからず影響しているような気がします。私も今は日本で暮らしていますが、ものの魅力に蓋をしない空間の必要性を、この愛すべき器を使うたびに思います。
5 高木正勝さんの『こといづ』
最後に、私のいちばん好きな本を紹介します。映画『おおかみこどもの雨と雪』や『おかえりモネ』の音楽も手掛けている高木正勝さんのエッセイ集『こといづ』です。私は昔から高木さんの大ファンで、一度取材で山奥にあるご自宅にうかがったこともあるのですが、そこは高木さんの音楽や文章そのもの! 自然の脅威とも隣り合わせで「憧れ」だけでは括れませんが、本当に居心地のいい場所でした。
『こといづ』に書かれているエピソードがとにかく面白いんです。高木さんはいつも、雨の音や鳥のさえずり、虫の声と一緒に音楽を作っているんですが、あるときどうも小川のせせらぎの音がしっくりこなかったらしく。で、見に行ってみたら川底に穴があいて水が潜り込んでいた。
そこで高木さんは、石を運んで埋めて、小石を積んで、心地良い音になるように毎日せっせと頑張っていたと。まるでピアノ調律師みたいに、自然の音を調律している!
あるいは裏山の川の三面コンクリートで固められた川が気になってしまって、「生き物が棲まう環境に少しでも戻せないか」と、毎日山の斜面から石を運んで川底に敷き始めるんです。重労働を経て、やっと心地よい音が聴こえてきても、また流されてしまったり……。
最初この本が出たときには、そのエピソードを「本当に面白い人だなぁ!」と思ってニコニコ笑いながら読んでいたのですが、最近読み直して、改めてその行動の理由がわかるようになってきました。五感に忠実に暮らすようになってから、ここの空気は気持ちがいいなぁとか、ここはなんだか居心地が悪いなぁとか、瞬時にわかってくるようになりました。そうした身体の声にしたがって、まわりの音を馴染ませていく――川を調律したくなる気持ちがすごく理解できるし、自分でもそうしちゃうかもしれない。
五感を大切にして暮らす日々は、とても楽しくって、鮮やかです。今まで見えなかった、日常のなかのキラキラした魅力がとたんに現れてくる。でも現代社会のなかでは、感性を殺しておいたほうが、ずっと楽なことも多いです。でもそれって、みんなで辛い方向に行進しているみたい。社会の抑圧やしがらみをもう少しほぐしていけるように、私はやっぱり五感を大切にして、それでも楽に生きていける社会に近づけたいですね。
高木さんは本のなかでは、なにも大きな言葉や、具体的な目標を掲げてません。でも、自分の文化の背骨をポキポキと折ってきて、大量消費社会のなかで自己否定に包まれていた私にとっては、あったかい薬膳スープのように染み渡っていきました。社会と自分のギャップに苦しむとき、ときどき読み返す大切な一冊です。
塩谷 舞(しおたに・まい)
1988年大阪・千里生まれ。京都市立芸術大学卒業。大学時代にアートマガジン『SHAKE ART!』を創刊。会社員を経て、2015年より独立。18年に渡米し、ニューヨークなどでの生活を経て21年に帰国。オピニオンメディアmilieuを自主運営。note定期購読マガジン『視点』にてエッセイを更新中。著書に『ここじゃない世界に行きたかった』(文藝春秋)
ここじゃない世界に行きたかった
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2022.02.27(日)
構成=CREA編集部