「帝国」の支配が崩れてきた今、木村拓哉を再評価する意味

 SMAPというグループの国民的な成功は、ジャニーズ事務所と「彼」を芸能界全体に影響力を持つ帝国の王に押し上げた。そして、自分たちが押し上げた帝王の抑圧の下でグループが分解するという皮肉な運命の下に木村拓哉は生きてきた。

 2021年現在、そのジャニー喜多川も、彼の姉であるメリー喜多川もすでに世を去った。2019年、ジャニー喜多川の死後に公正取引委員会は元SMAP(現・新しい地図)の3人をテレビに出演させないことについての「注意」を行い、草彅剛、香取慎吾、稲垣吾郎の三人は俳優として一気に活躍の場を広げ、高い評価を得た。

 中居正広をはじめ、ジャニーズ事務所を退所するメンバーはその後も続いている。かつて「帝国」と呼ばれ芸能界を支配したその圧倒的な力関係は変わりつつある。

 だがそうした「帝王の死」の後で、これまで嵐のような賞賛と反感の風に吹かれてきた木村拓哉という俳優をようやくありのままに、正当に評価しうる時が来たのではないかと思う。

 この原稿を書くにあたり『マスカレード・ナイト』関連の彼のインタビューを読み漁っていて圧倒されたのは、映画一本にいったい何十の取材を受けているのかというその膨大な量もさることながら、そのひとつとして「流した」インタビューがないことである。

 

どんなインタビューでも、「手土産」がある

「アルゼンチンタンゴの練習はどうでしたか?」という質問は雑誌側にとっては外せない質問だが、答える側にとっては10や20では聞かない繰り返しの答えだ。だが、読むだけで気が滅入るほどくり返される質問に、木村拓哉は身を乗り出すように熱をこめて答え、大手名門でない雑誌のインタビュアーに対しても、他の取材で話していないことを何かひとつ、手土産のようにインタビュアーに明かす。

 彼が話すことの多くは自分のことではなく、自分の周囲の社会と人間のことだ。続編の撮影で再会した小日向文世が「だから俺、これは続編あるって言ったじゃん」と前作のヒットをベテランらしからぬ無邪気さで喜んでくれたこと、今作の映画撮影班に1人の新人女性フォーカスマンがデビューし、その新人とベテランの叱咤に俳優たちもインスパイアされたこと、「爪痕を残す」というエゴイスティックな表現が俳優として好きではなく、そういうエゴではなく作品のために自分の演技を献げることのできる長澤まさみがいかに素晴らしい女優であるかということ、コロナ禍にあえぐ社会の中で、今芸能界について考えていること。

2021.10.07(木)
文=CDB