差別された側の気持ちを忘れないことが、自分の基礎となっている
――今回はもう一つ、ジェンダーというテーマについても、お二人にお聞きしたいと思っています。南先生の作品『ブラックウェルに憧れて』には、女性医師が偏見や差別を受ける描写も見られますね。
南 医療は本当に古い世界で遅れているとは思いますけれども、出版社にいた頃も私は男女の不平等をずっと感じていましたし、医学部に入った時も、周りの人からすごく言われましたね。
「子どもがいるのにまだ勉強するの?」とか、「よく旦那さんが許してくれたね」とか。もっと遡れば、高校から大学に進む時も、「どうせ結婚するだけなんだから短大でいいでしょ」って言われていましたし。
小野 そういう時代だったんですね。
南 それと、私は18歳から21歳まで祖父の介護をしていたんですけれども、これも、「女だからやるのが当たり前」と思われていました。それが社会通念だったんですよね。
だから、「祖父のことをちゃんと介護できなくて申し訳なかった」とか、医学部に通っている頃は、「子どもがいるのに勉強させてもらっている」、「子どもに寂しい思いをさせているのは私のせい」だというふうに、すごく自分を責めたり、社会的に決められている役割に自分から当てはまろうとしたりという部分もありました。
――そういう「旦那さんは大丈夫?」「お子さんがかわいそう」といった言葉は、女性から言われることもありますよね。男性だけでなく、女性の中にもそういう固定観念があるからこそ、社会が変わっていかないという要因があるのかもしれません。
南 本当にそうですね。ただそれは、女性に限ったことじゃないと思うんですね。民族や宗教の問題だったり、性の多様化の問題だったり、差別されている人は、そういう差別的な価値観の中でいかに息がしやすいように生きていくかを、常に探していなきゃいけないんですよ。
そうやって生きていく人たちの思いが、自分の経験を通して私も理解できるようになった。そこは自分の中での大切な基礎の一つとなっていますし、これからも小説の中で取り上げていきたいと思っています。決して良い経験だったとは言いたくないですけれど。
小野 私自身もアメリカに渡って突然マイノリティーになったことを実感したんですよ。アメリカにも女性差別はあるし、人種差別も山のようにあるし。ただ、その歴史に向き合って活発な議論がされて、社会が変わってきた事実もある。その弱い立場になった時の自分をちゃんと覚えていることがとても大事だと思っています。
たとえ強い立場になったとしても、自分が弱い立場、差別を受ける側だった時の気持ちってどうだっただろう、いろいろな価値観の中で自分の置かれている立場はどんなものだろうって、常に考えながら生きているところがあります。
――ジェンダーの面からいうと、途上国ではやはり女性が活躍しにくい部分がありますか?
小野 途上国の場合、教育が受けられる人間と受けられない人間の格差はものすごく大きいのですが、女性だからといって活躍できていないかというとそうでないところもあって、私のお付き合いしている国の方が日本より進んでいるかもって思うことがありますね。
会議でも、向こうのチームは女性と男性が半々ぐらい、こちらは男性ばかりということが結構あるかもしれません。国際協力の分野、特に保健の分野は女性がものすごく多くて、私自身も上司が女性であることに全く違和感がない中で暮らしてきたので、日本に帰ってきて愕然としましたね。やはり日本の年功序列の仕組みって、女性にとっても不利じゃないですか。
南 本当にそうですね。
小野 自分が住んでいる国がこの状況だっていうのは、ちょっときついなって思うことがありますね。ただ、昔に比べてJICAの中でも育休をとられる男性もとても増えていますし、そういう意味では前進していると感じます。
若い人たちの感覚を見ても、男性だからこう、女性だからこうっていう考え方は薄まってきているのかなと。一方で社会を見ると、キャリアの仕組みとしてはあんまり変わっていないので、若い世代の感覚と社会の仕組みがまだ合致していない状態かな、と。
南 私は男女雇用機会均等法施行の前に就職期を迎えて、入社試験さえ受けさせてもらえなかったり、門前払いされたりっていう経験をしましたので、そういうところは大きく変わったと感じています。それと2000年に介護保険制度ができましたよね。
それまでは、「高齢者の介護はお嫁さんに任せとけばいい」っていう考えだったので、ようやく社会が動いてきたなって思いました。女性の医師、男性の看護師も増えてきました。
小野 男性が悪いとか女性が悪いとかではなく、社会の仕組みや通念の問題をちゃんと提起して、全員が良くなる環境をどう作っていくかを考えるべきだと思います。
そのためには、女性も自分がおかしいと思うことはしっかり言っていくべきですよね。SNSなどの限られた場所だけじゃなくて、言える場所はいくらでもあるわけだし、仲間もちゃんといるはずですから。
――最後になりますが、お二人の今後の目標をぜひお聞かせください。
南 私は終末期医療に携わっていますが、人って生まれてから亡くなるまで、全部で一つの人生なんですよ。必ずみんな亡くなるんですから。だから、赤ちゃんに対してふさわしい医療があるように、亡くなる前にもふさわしい医療があるはずだって、私は今感じているんですね。
終末期を迎えた患者さんに対して、家族や医療者がどうしたいかではなく、患者さんご本人だったら、最期をどういうふうに過ごしたいと思うだろうか、それを大事にしたい。
その人なりの生き切り方を支えること、それこそが新しい医療だと思っていますし、『サイレント・ブレス』や『いのちの停車場』を書いたことで、そういう終末期医療のあり方を多くの人に知っていただけたことは、本当によかったなって思いますね。
小野 医療はいわゆる治癒を目的とするキュアと、より精神的・社会的な意味合いを含めたケアの両方があってこそですが、終末期は特にケアの部分がとても大きいですよね。医療経済の面から見ると評価がしにくい部分ですが、やっぱり家族に、また社会にケアされたという安心感の中で人生を終えてもらうのが医療の役割ですから、その部分は切り捨てたくない。
リソースの限られた途上国であっても、最後の1週間、2週間、ちゃんとケアされたって感じてもらえる環境が担保されるような仕組みを作っていきたいと思っています。
――もちろん小野さんの場合は、終末期だけではなく、出産時からすべて考えなければいけないお仕事だと思いますが。
小野 そうですね。途上国の医療ってまずは母子保健から入ることが多いので、メインとなる対象者はやはりお母さん、女性となります。でも、医療へのアクセスは、本人だけではなく家族で決断することなんですよね。
お金を使って、2時間、3時間かけてタクシーに乗って医療を受けていいかどうか。その決断を誰がしているのかっていうのが、すごく大事な視点になってくる。だから私たちは女性だけではなく、家族やコミュニティー全体を変えていかないといけないのですが、はっきり言えば外国人が来て変わるというものじゃないんですよ。
――なるほど。
小野 なので、まずは村の中で頼りにされている人たちに働きかけていく。宗教上のリーダーや村長さん、あるいは看護師さんや保健師さんといった、コミュニティーの中で現場にいる人たちを巻き込み、知識のメッセンジャーとなってもらって、コミュニティーを良くするための話し合いをしていく。制度などの整備とともになすべきエンパワーメントだと思っています。
南 医療へのアクセスって、経済力にもよりますよね。女性も男性も同じ経済力があれば、病院を利用するかどうか、夫の意思にかかわらず妻が自分で病院に行くことを決断できるじゃないですか。
小野 経済力は大事ですね、確実に。男性でも女性でも病気になる時はなりますし、どの病気であっても苦しいですし。ただ、高度な治療方法になれば医療費も高額になり、経済力のある人しか受けられなくなってしまうわけです。
経済力の有無や、病気の種類によって、医療のアクセスがかわることをなるべく減らしたいと思っているのですが、そのためには、医療というよりも、医療の背景にあるもののほうが、途上国では課題になってくることが多いです。
南 確かにそうでしょうね。さっき小野さんがキュアとケアというお話をされましたが、私が得意としているのは多分、「ここに困っている人がいますよ」って手を挙げることなんですね。「こんなところで追い詰められている人がいますよ」「苦しんでいる人がいますよ」と。そういったことを小説にすることによって、「あ、そうなんだ」って気づいてくれる人が増えると思うんです。
さらに、私では解決できないことを解決できる力のある人が読んでくださって、実行に移していただけるかもしれない。その輪が広がれば、私も一つの歯車として役立てるような気がしていて。だから、これからも医療の問題を中心に小説を書いていきたいと思っています。
独立行政法人国際協力機構(JICA)
CREAWEB x 文春オンライン特別企画 ソーシャルビジネス×ジェンダー平等がもたらす地球の未来
2021.09.24(金)
取材・文=張替裕子(giraffe)
撮影=深野未季
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