株式会社arca 代表、クリエイティブ・ディレクターの辻 愛沙子さん(左)と、JICA民間連携事業部長の原 昌平さん(右)。
株式会社arca 代表、クリエイティブ・ディレクターの辻 愛沙子さん(左)と、JICA民間連携事業部長の原 昌平さん(右)。

 貧困の解消、多様性の共存、ジェンダー平等など、世界は今、様々な社会課題に直面している。SDGsの急速な広まりは、解決に挑む国際社会の決意のあらわれと言えるだろう。

 だが一方、新型コロナウイルスの影響により、社会の不均衡はさらに拡大しつつあり、ミレニアル世代・Z世代と呼ばれる若者層は、先の見えない閉塞感に苛まれている。その現実に対し、今、日本は、そして国際社会はどうあるべきか。

 株式会社arcaのCEOであり、社会課題をクリエイティブという手法を通じて変えていこうとする、クリエイティブディレクター辻 愛沙子さんと、国際協力機構(JICA)民間連携事業部長として、開発途上国の様々な課題解決に向けてビジネスと連携した取り組みを進めている原 昌平さんが、世代を超えて語り合った。


“らしさ”にくくられる日本社会の閉塞感

―― 辻さんは、中学はスイス、高校はアメリカで学び、帰国されてからは大学在学中に起業されたわけですが、日本と海外の教育の違いをどう感じましたか?

辻 愛沙子さん(以下辻) 幼稚園と小学校は一貫教育の女子校に通っていたんですが、すごく校則が厳しく、制服はもちろん下敷きの色まで指定されるような学校だったんですよ。楽しく穏やかな毎日だったのですが、こんなに偏りのある平和すぎる環境しか知らずに歳を重ねていていいのかという不思議な焦燥感が芽生え始めて。

 それで、こことは全然違う世界を見たい、自分の知らない世界はまだまだたくさんあるはずだという思いが強くなり、中学進学の時に両親を説得して海外に留学させてもらいました。

株式会社arca 代表、クリエイティブ・ディレクターの辻 愛沙子さん。
株式会社arca 代表、クリエイティブ・ディレクターの辻 愛沙子さん。

原 昌平さん(以下原) 私にも高校生の息子と中学生の娘がいるので、自分の娘がそう言いだしたらどうしようかなと身につまされますが、そんなことを言い出してほしいな、とも思います(笑)。

 海外からこっそり資料をとりよせて、「私はここの学校に行きたい」って親にプレゼンしたんです(笑)。それでいざ留学してみると、海外の学校はいろんな国の子が集まっているので、校則どころか“普通”を規定しようがないんですよ。

 髪色一つとっても、どれがマジョリティだっけと考えても、それぞれルーツが違うので一つに決めようがない、というような環境だった。それを見た上で日本に帰ってきた時、改めて、どこの誰が決めたのか分からない“普通”みたいなものがすごくたくさんあるなと、痛感しました。平和だからでしょうけれど、誰かが作った“普通”が存在するという安心感が、良くも悪くも日本には深く根付いているように思います。

―― その普通というものが、悪い意味での枷になっていたり、ブレイクスルーを生まなくなってしまっていたりするのでしょうか?

 そうですね。いわゆる“らしさ”みたいなものがたくさんある気がしていて。女らしさ、男らしさもそうですし、若者らしさとか、起業家らしさとか。学び方も楽しみ方も人それぞれ違うはずなのに、外から見た“らしさ”だけでくくってしまい、本当に相手のことを理解するための工数というか手間を省略しようとする文化が日本にはあるように感じます。それは危ういことだなと。

スイス留学時代の辻さん。様々な国籍の友人たちとバンドを組んだ。
スイス留学時代の辻さん。様々な国籍の友人たちとバンドを組んだ。

―― 一方で原さんは、途上国の子どもたちの置かれている環境や教育文化を見てこられたと思いますが、やはり日本とは大きな違いがありますか?

 私はインドとイラクに駐在していた経験があるのですが、途上国の教育には様々な課題があって、中でも教え方は結構詰め込み方式が多いんですよね。先生が黒板に書いたことを全部ひたすら書き写すとか、教科書をそのまま覚え込ませるみたいな教育が多くて。そこが非常に大きな制約になっていると思います。

 正解が決まっている問いをひたすら解く、みたいな?

 はい。ただ、開発途上国は今、すごくダイナミックに変わってきています。私は90年代後半にインドでデリーの地下鉄事業を担当していたんですけども、それまでなかった地下鉄ができると、デリーの街や社会が大きく変わっていくんですよ。そこで重要になってくるのが、やっぱり若者なんですよね。

 今の途上国の若者は、インターネットでどんな情報でも手に入れられるんです。以前は若者も非常に狭いコミュニティで暮らし、一種の視野狭窄状態に陥りがちでしたが、今や誰でもスマホが持てて、YouTubeで国外のことを何でも見られるし、世界中の人といろんなディスカッションもできる。これは大きなパワーになり得るし、一方でリスクにもなり得る。

原昌平さんのインド駐在時代(写真中央)。デリー地下鉄総裁のSreedharan氏と。
原昌平さんのインド駐在時代(写真中央)。デリー地下鉄総裁のSreedharan氏と。

 あぁ、確かに。

 私から見ると、辻さんは学生時代から今に至るまでの極めて短期間に、すごい熱量を発してきているように感じるんですね。それと同じようなエネルギー・願望が、途上国の若者にもあるんです。

 それをちゃんと形にできるよう取り組む機会を与えられるかどうか、トライ・アンド・エラーも含めて彼らがやりたいことにエネルギーを使える環境を作れるかどうかが、途上国や世界の未来にとって重要になる。

 表面化していないけれど、日本でもきっとそういった課題は増えてくるんだろうと思いますね。先日見たデータで衝撃を受けたんですけど、自分自身が社会を変えられると思えるか、というアンケート調査を10代にしたところ、日本は「思う」と答えた率が圧倒的に低くて、18%とかだったんですよ。

 他の国は少なくても40%、50%を超える国もたくさんあるのに日本だけが10%台だったんです。それこそインドとかは結構高くて、自分たちがこの国を変えていくんだ、自分たちの手でっていう熱量がすごくあるんだと思います。

 そのとおりですね。

 逆に日本は豊かで経済的な環境が満たされていても、自分の声が届かない、国会中継を見たら自分の代弁者とは思えない政治家ばかりが溢れているという社会では、熱量の持ちようがない。それなのに、老後に備えて2000万円貯金しておいてくださいね、と言われたって、目の前には自分の奨学金返済がある。無理なんだけど…、みたいな、そういう閉塞感が日本の若者にはすごくある気がしていて。

 一定の水準まではもちろん経済的に満たされているところはあるかもしれません。でも、今の若者たちはその成熟していたはずの社会の中で、希望を見出せなくなっているのではと思うことがあります。

2021.08.30(月)
取材・文=張替裕子(giraffe)
撮影=三宅史郎