インスタリム株式会社 代表取締役CEO 徳島 泰×ビジネスレザーファクトリー株式会社 代表取締役社長 原口瑛子 スペシャル対談
フィリピンを拠点とし、3DプリンティングやAI技術を活用して低価格・高品質な義肢装具を製造しているインスタリム。バングラデシュの貧困層に雇用を創出するため、現地自社工場を設立してビジネス向け革製品の製造販売を手がけるビジネスレザーファクトリー。2社が追求するソーシャルビジネスのあるべき姿とは。
いくつもの転換点が自分を起業にいざなった
――まずはおふたりが起業に至るまでの道のりをお聞きしたいと思います。徳島さんにはいくつもの転換点があったそうですね。
徳島 泰さん(以下徳島) そうですね。僕が19歳の時、父親が液晶関連の事業で失敗して多額の負債を作ってしまったため、僕も実家の会社でひたすら働いていたんです。なんとか頑張って事業がある程度好転した時、中国の工場に視察に行ったのですが、これが、自分にとって大きな転換点になりました。
原口瑛子さん(以下原口) 中国というと、下請けの工場ですか?
徳島 はい。僕の設計した圧電セラミックス部品を発注していた工場だったんですが、そこの環境が劣悪そのもので。人体に影響を及ぼすような廃液を近くの川に垂れ流し、川の先の白菜畑では、農家の方が廃液で真っ白になった水をすくって畑にかけているんですよ。社員食堂の昼食で出された白菜の炒め物に、どうしても箸がつけられませんでした。
――工場の人たちは、みんな食べているわけですね。
徳島 はい、それを見て、いったい自分は何をしているんだろうと、ものすごくショックを受けました。これまで、安くてスペックが高いものを作りたいと、ひたすら日本のものづくり産業の中で頑張ってきたけれど、一方ではこういう現実が生まれているわけです。
何か間違っているんじゃないか、もっとフェアで、皆が幸せになる仕事をしないといけないんじゃないかと考えたことが大きな原動力になって、今のインスタリムに繋がっています。
原口 それが最初の転換点なんですね。
徳島 そうですね。その数年後、父の病気で会社を畳むことになったのをきっかけに、いったん25歳で独立し、ウェブシステムとハードウエアを開発する会社を起業したのですが、ものづくりの上流で社会に役立つ製品を企画できる人間になろうと、大学に入ってプロダクトデザインを学び直しました。それが2つ目の転換点です。
――卒業後、医療機器メーカーに就職されたのはなぜですか?
徳島 在学中、途上国で役立つものづくりとは何かを考え続けた結果、やはり医療の充実が必須だと感じたんです。30歳の新卒新入社員でした(笑)。でも、実際に働いてみると、途上国に対する事業の面では違和感があり、本当のラストワンマイルというか、必要とする人に必要な医療が届けられているのだろうかと考えるようになりました。そんな思いを抱えながらも、3年ほどたってひととおりの仕事が身についたかなというタイミングで、3.11が起こったんです。
原口 東日本大震災ですね。ちょうど10年前。
徳島 はい。あの大災害をテレビで目の当たりにした時、もう一度、自分のやりたかったこと、やるべきことに立ち戻らないといけないのではないかという思いを強くしました。今の経済の枠組みの中で、僕が何かやろうとしても、結局、何を変えることもできない。それで、JICAが派遣する青年海外協力隊に応募して途上国のリアルを見に行こうと決意したんです。
――そこで出会ったフィリピンの現実が、3つ目の大きな転換点になったわけですね。
徳島 そうです。フィリピンの医療はさまざまな根本的な問題を抱えているのですが、その中のひとつとして、義足が足りないという問題がありました。義足を必要とする人の8割ぐらいは糖尿病で足が壊死し、切断した人です。そもそもフィリピンなどの途上国では糖尿病患者がとても多いんです。
原口 貧しい人たちは、カロリーをほぼ穀物からしか取れないですからね。
徳島 ですよね。フィリピンでも、たくさんの米に少しの塩辛いものを乗せて食べ、結果、30代40代の4分の1から3分の1が糖尿病ないし糖尿病予備軍となって、100人ほどの村で1人ぐらいは足が壊疽になってしまっている。俗にいう、腐ってしまっている状態なんですね。
でも足が腐っても切ることを選択しない。足を切っても義足が買えなければ働くことができず、家族の負担になってしまうからなんです。だからそのまま放置し続け、やがて壊死が足から全身に回って死んでしまう。
原口 それはとても苦しいですね。
徳島 一方、足がまさに腐りつつある人に、義足があったら切断するのかって聞いたら「切る」と。なぜなら、仕事ももちろん大事だけど、足を切ってしまうと死んだ時に天国への階段を上れないじゃないかと。「義足があったら天国への階段を上れるんだから、切るに決まってるよ」って言うんです。
原口 あぁ、なるほど……。
徳島 それが途上国のリアルだと思いました。このままにしていては本人にとっても不幸だし、社会的に見ても労働力の損失となる。でも、義足さえあればその問題は解決できるわけで、だったら僕が解決できるんじゃないかと。というか、僕がやらなければならないのではと思ったんです。
――確かに、医療機器の知識も、製造管理や会社経営の経験もあり、ハードもソフトも両方開発できて、しかも途上国で自由に動けるわけですからね。
徳島 当時は、こんなことができる人間は世界で自分しかいないんじゃないかと思っていましたね。事業の立ち上げから成長するところまで、クリアにバーッと思い描けましたし、自分の知っている限りのエンジニアやデザイナーを世界レベルで思い浮かべて考えてみても、それを実現できそうな人間は自分以外に思い浮かばなかったんです。
それにきっと、どんな優秀な経営者でも、この現実を自分の目で見てリアルを知らなければ、ここに確かな、しかもとても逼迫した大きな義足の需要があるということは分からない。これを事業としてやるという決断はきっとできないだろうと思えました。でも自分はこのリアルを知っている。それが、インスタリムの起業につながりました。
2021.03.19(金)
取材・文=張替裕子(giraffe)
撮影=三宅史郎