2021年秋、日本に女子のプロサッカーリーグが開幕します。その名は、WE(Women Empowerment)リーグ。その初代チェア(代表理事)として就任した岡島喜久子さんは、アメリカ東部のボルチモアに在住で、米・メリルリンチのバイスプレジデントまで務め、常に仕事の第一線を歩んでいます。
この職に就くまでどう歩み、女性の社会進出に関し、どのような考えを持っているのか、直接お話をうかがいました。
仕事において 女性でよかったなと思う
――岡島さんは就職が1983年、まだ男女雇用機会均等法が制定(‘85年)する前ですよね。しばらくして育児休業法が定められますが、岡島さんはずっと、新しい扉の最前線にいらっしゃいましたね。
そうですね。私は、中学校で男子のサッカー部に入れてもらって、サッカーを始めました。
小学生のときドッジボールがすごく強かったんです。一緒にやっていた男の子たちと同じ中学に上がって、彼らがサッカーをやっていたので、「私でもできるはず」と思ったんですね。そこで練習に参加させてもらえたんですが、試合には出してもらえなかった。
私は試合に出たかったので、東京都のFCジンナンというクラブチームに入りました。それでサッカーを続けていたら日本代表にも選ばれたのですが、男性だったら競争が激しくて、代表メンバーにはなれなかったと思います。
その後の仕事においても、女性であることで今まで損したことはなかった気がします。私は、女性でよかったなと思っているんです。
――社会に出て「女性でよかった」と思った点も具体的にうかがえますか。新卒で入ったケミカル・バンク(現・JPモルガン・チェース銀行)では、どんなお仕事でしたか。
私は、早稲田大の商学部卒で、途中1年留学の経験もあったので、外資系の金融は合っていました。それと、就職先を選ぶのに重要視したのは、土曜・日曜が休みであること。サッカーの練習と試合があったので。
ケミカル・バンクはアメリカの会社で、私が勤めたのは東京支店でした。最初は、信用調査のオペレーションでした。海外貿易の際、海外からちゃんと日本にお金が入ってくるかどうかわからない、そのために海外の銀行を事前に調査するんです。
2年目に、チャンスがやってきました。ニューヨーク本店に研修に行かせてもらえることになったんです。
それまでは毎年、男性社員が送り出されていました。ところが、この年候補になっていた男性の英語力を心配した上司が、私に行ってみないかと。ラッキーでしたね。
13カ月ニューヨークで、クレジットトレーニングプログラムといって審査、財務諸表のケーススタディなど、コーポレートファイナンスの研修を受けました。各支店から集まった30人くらいのクラスでした。
――では、入ったときから男性と同等の仕事内容だったのですね。
そうですね。上司がアメリカ人だったというのが大きいです。支店長とトップの何人かは外国人ですが、それ以外は日本人の上司で、彼らは偏見というか、営業には男性しか出せない、女性は営業に行ってもらったら困る、という感じでした。
営業には出せないけれども、審査だったらいいだろうと、ニューヨークに行かせてもらったんです。審査は融資の基本なので、それを身に付けられたのはよかったです。
――その後、国際証券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)に転職されました。
そのときのことを、ぜひお伝えしたいんですよ。
ケミカル・バンクでは、審査の仕事を3〜4年やりました。審査の仕事は、財務諸表を見る、有価証券報告書を見るなど、基本的に毎年同じことをやらなくてはなりませんでした。
お客さまは商社や銀行が多く、先ほど言ったように、そういう場には女性が営業に出られないという状況でした。
ですから男性の営業のかたが仕事を持ってきて、それを審査するのが私。営業の仕事を望んでいた私は、行き詰ってしまいました。
もうひとつ、ケミカル・バンクは東京支店であったことも転職を希望した理由です。私は"日本の企業の本店"に勤め、そこで営業をしたかったので、30歳のときに国際証券へ転職しました。
国際証券では念願の営業職でした。営業では成績が良ければ、女性も男性も関係ない。私の営業成績はなんとかよかったので、どんどん認められて、意見や提案が通るようになりました。
女性は、上司が評価を下す部署よりも、数字ではっきりと現れる営業職は向いているのではないかと思います。
営業での成功体験があったので、さらに転職して行くメリルリンチでもなんとかなるだろうと思っていました。実際、なんとかなりました。
2020.08.29(土)
文=藤森三奈