「内省」「開示」がなければ「変化」は伝わらない
―― 先ほども少しお話に出た“らしさ”やジェンダーのことですが、日本はジェンダー平等の意識が世界に比べて遅れていると言われています。おふたりはどうお感じになりますか?
辻 身の回りのちっちゃなことから大きな組織の中でのことまで、日常的にいろいろあると思います。私の例だと、仕事で遅くなって、夜中の1時とかに「あー疲れたー」ってタクシーに乗ったら、運転手さんに「若い子は遅くまで遊んでいていいね」みたいに言われてカッチーンってなったり(笑)。
組織でいうと、同じ会社で同じ賃金をもらって働いていても、なんとなくケア労働的なものは女性がやるっていう雰囲気、ありますよね。お茶を入れるのもそうですし、宅配の人が来た時に「はーい」って率先して立つのはやっぱり女性だったり。
原 我が家では必ずしもそうではないですが(笑)。
辻 素敵ですね(笑)。そういう個々人のバイアスが集積したときに生まれる関係性の上でのハレーションがあって、さらにそれが積み重なって大きな問題になり、数値としてのジェンダーギャップにつながる。賃金格差もそうですし、上場企業の女性役員の比率が未だ5%に過ぎないこともそうですし。
でも、この2年ほどでそれもすごく変わってきて、そういうことに関心を持つビジネスパーソンも企業も増えてきましたし、メディアも増えてきました。男性も女性も、女性の問題ではなく自分ごととして話せるトピックになってきたなって感じるので、すごく希望を持って捉えているところもあります。
原 JICAは比較的進んでる方だと言われていて、例えば女性管理職の比率が20.5%となっているんです。
辻 あ、そうなんですか!
原 一方で、男性の育児休暇取得は、増えてきてはいても、まだまだかなと思うところもあって。私の部署でも先日育児休暇の申請があったんですが、一人は丸一年とります、でももう一人は「奥さんとの約束なんで、一週間とります」と。もうちょっとまとめてとってもいいのに、という気はするんですよね。
辻 もちろん性別をとっても一人ひとり違うので一括りにはできないですが、ジェンダーギャップの問題は男性側が悪い、という話でもないと思うんです。男性にとっては、男性社会の中で弱さを見せることになるとか、相対的な社会の評価の中で枠から外れる恐怖心があるのかもしれないと思っていて。
ある種、女性とはまた違った形で生きづらさを抱えている。そういう価値基準をあまりにも社会が前提として強要してきてしまったために、他者だけでなく自分自身をも毒しているのかもしれないと思います。
―― 最初に辻さんがおっしゃっていた、“らしさ”を求めすぎてしまった社会の構造が残っているのかもしれませんね。
辻 私は、変化やアップデートのプロセスにおいては、「内省」「開示」「前進」という3つのステップがとても大事だと思っているんですよ。今、SDGsとかジェンダーイクオリティーとかすごく取り上げられていて、それはもちろんとても大事なんですけど、その圧がすごすぎて、一番最後の「変化」ばかりにフォーカスが置かれている気がするんです。
原 「内省」と「開示」が抜けている?
辻 そうです。これはジェンダーに限ったことではありませんが、性別や年代の如何に限らず、自分自身の中にある無自覚な偏見や加害性に向き合い、何が問題なのか、もしくは問題になり得るのかを一つひとつ自覚的であろうという意思を持って紐解いていく。まず、それが内省するということだと思います。
次に、それを開示していくこと。自分の中で無意識に規定してしまっていたことを一つひとつ捉え直して内省していった結果、「こういうところからバイアスを生んでいたかもしれないと思った」と開示していくことが必要だと思うんです。「彼氏に『なんでおごってくれないわけ』って思ってたんだけど、そもそも私にもジェンダーのバイアスあったわ」みたいに。
企業もそうだと思うんですよ。これまでこういう問題がありました、まずそれを内省してみて課題を明確にしました、で、それを開示した上でこう変わりますって言わないと、信用されない。そういう意味で、今の社会には内省と開示がすごく足りないような気がしているんです。
―― 自らが持っているだろう加害性を認識すること、それを内省して開示することの大切さという話は、情報社会となった今の時代こそ響く話ですね。
2021.08.30(月)
取材・文=張替裕子(giraffe)
撮影=三宅史郎