コロナ禍にあっても、命のためにせいいっぱいベストを尽くす

スーダンの地方出張、カッサラにて。スーダン保健省の行政官と。
スーダンの地方出張、カッサラにて。スーダン保健省の行政官と。

小野 ワクチンでいうと、途上国ではやはり手に入るワクチンが極端に限られているんですよ。なので、都市部の人は接種できても、地方の住民はワクチンへのアクセスが難しい。

 そもそも地方にはワクチンを打てる医療従事者が足りていないし、電気も不安定なのでコールドチェーンという低温保管・輸送は容易ではない。それでも人は動くから、感染は拡大していきます。誇張ではなく、感染症の恐怖を世界中の人に示した100年に1回あるかないかという事態を、今我々は経験していると思います。

 本当にそうですね。私が勤務している病院は特に終末期の患者さんが多くて、平均年齢が90歳ぐらいなんです。そういう弱い人たちが一人でもコロナに感染すれば大変なことになるので、職員も感染予防を徹底し、さらにご家族の面会もお断りしたのですが、これは本当に異例なことなんですね。つまり、最後の面会チャンスを奪うかもしれないわけで。

小野 そういうことも起こりますよね。

 通常であれば、患者さんが亡くなる前にご家族に来ていただくよう、私たちはすごく配慮しているんです。とにかく最後に手を握ってもらって大往生を迎えていただこうと。

 もちろん今回は非常時ですし、政府が主体となって感染予防策の広報活動をしてくれたこともあり、ご家族もちゃんと理解してくださいましたが、これまでだったら絶対にあり得ない状況が続いています。

内科医として勤務する高齢者病院での診察風景(撮影=樽矢敏広)。
内科医として勤務する高齢者病院での診察風景(撮影=樽矢敏広)。

――病床のひっ迫などの問題もありますし、途上国にはワクチンが行き渡らないという現状もあります。そういったことを考えると、言葉は良くありせんが、命には優先順位というものがあるのだろうかと考えてしまいます。

 日本では高齢者からワクチンを打つという方針で接種が進められましたが、それは高齢者が感染するとすぐに重症化してしまって病院のベッドがどんどんふさがってしまい、もし若い人に何か起こった時に病院に入れなくなってしまうから、という点が考慮されたと思うんです。

 つまり、高齢者に敬意を表して優先したということではなく、回り回って自分たちが守られるために先に接種を受けていただいた、と私たちは感じています。

小野 基本的に感染症である以上、一番リスクの高い人から打っていくしかないですよね。一方で国によってはロックダウンという対策をとっていますが、ロックダウンすれば感染のスピードは当然下がるものの、その代わり経済が落ちていく。そこは非常に難しいバランスです。

 先進国はともかく、その日暮らしの人が大勢暮らす途上国において、ロックダウンのインパクトがどれほどのものかというと、もう全然レベルが違います。餓えて死ぬのか、コロナで死ぬのか、ということになってしまう。命の重さの格差というよりも、置かれた環境、できることの格差は常に問題視していますし、それはもう間違いなく現実としてあります。

 それはコロナに限ったことではありませんよね。

小野 はい。たとえば出産時、家で出産することが普通である途上国では緊急時にちゃんとした医療にアクセス出来るかが、赤ちゃん・妊婦さんの生き死にに直結します。たとえ妊婦さんが出血したとしても、地方であればあるほど、病院に行く道路はありますか、運搬の手段はありますかっていうところで、救える命と救えない命が出てきてしまう。

 それが途上国の現実であり、コロナに限らず我々がずっと抱えている問題です。その中で、今あるリソースでできることは何かを考え、それを粘り強く積み重ねて、一つひとつの命を救っていく仕組みを作るしかないと考えています。

 医療を受ける機会の平等性が損なわれることによって、命の重さの格差が生じているということでしょうか。非常に難しい問題ですね。

小野 どんな人でも大事な命であることは全く変わらないわけじゃないですか。その命を救えるかどうか、国によって医療の格差はあるかもしれないけれど、命を救うために社会としてしっかりベストを尽くすことは、それぞれの国でできるんじゃないかなって思うんですよね。

 日本でも途上国でも、自分が亡くなる時、家族が亡くなる時、ちゃんとケアをされた、その国にある医療の中でベストを尽くして送り出してもらったって思えるかどうか。まずはそういうところまで、今あるリソースの中でベストを尽くすことが大事だと思っています。

2021.09.24(金)
取材・文=張替裕子(giraffe)
撮影=深野未季