400mリレー、混合400mメドレーリレー、400mメドレーリレーの3種目で、東京五輪の舞台に立った競泳の池江璃花子(21)。最後の400mメドレーリレーのレース後、涙ながらに「この数年間、本当につらかった。人生のどん底に突き落とされて、ここまで戻ってくるのはすごく大変だった」と語った。
2019年2月「急性リンパ性白血病」を発症してから、彼女はいかに復活を果たしたのか。
池江が中学時代から所属する株式会社ルネサンスの元社長、吉田正昭氏が月刊「文藝春秋」の取材に応じ、復活までの舞台裏について明かした。
「1月中旬から約3週間の予定で海外チームの合宿に参加していましたが、まず『璃花子の様子がちょっとおかしい』との情報が、日本にいた私にもたらされました。練習中に肩で息をする場面が多いと。現地の医療機関で検査を受けると、日本で再検査を受けたほうが良いという結果になりました。予定より2日早く合宿を切り上げ帰国し、日本で改めて受診した。信じたくない、嘘であって欲しい。病名を聞いた瞬間、言葉を発することができませんでした」
2016年リオで初めての五輪を経験し、2018年の日本選手権で出場の4種目すべて日本新記録。ジャカルタのアジア大会では6冠で最優秀選手に選ばれるなど、世界のトップレベルで戦えるようになった時期だった。
「そうして積み重ねてきた努力が病魔によって一度消えてしまうわけで、彼女の心境を思うと、かける言葉が見つかりませんでした。水泳云々ではなく、璃花子の命……とにかく元気になってほしい、それだけを考えていました」
過酷な入院生活は10カ月に及んだ。
病室での会話は……
「私たちがお見舞いに行っても、病室の璃花子は僕らに辛そうな顔は一切見せません。ときおり笑顔すら見せて、気丈に振る舞っていました。絶対に弱音を吐かず、病魔と闘うと心に誓っていたんでしょうね。お見舞いに行っても体調の悪い日は顔だけ見て帰ることもありましたが、そうでないときは『しっかり治そうよ』『ちゃんとゴハン食べているか?』と、たわいもない話をしました。水泳の話題はあまりしなかった。病院食に飽きて食べられないと聞いて、スタッフとサンドイッチを探して、差し入れしたこともありました」
2021.08.12(木)
文=「文藝春秋」編集部