「道の上の亡霊のような人物を描きたかった」

「ファン・ゴッホの肖像」のための習作 V:1957年 油彩、砂・キャンバス 198.7×137.5cm ハーシュホーン美術館 Photograph by Lee Stalsworth  © The Estate of Francis Bacon. All rightsreserved. DACS 2013    Z0012

 そして1950年代半ばを過ぎた頃、ファン・ゴッホの《タラスコンへと向かう途上の画家》(第二次世界大戦の際に破壊された)をもとにした連作、《「ファン・ゴッホの肖像」のための習作》を制作。この連作を契機として、ベーコンの作品に鮮やかな色彩や厚塗りの絵の具による物質感が戻って来たことから、画風の転換点をなすシリーズとされる。とはいえ、「道の上の亡霊のような人物を描きたかった」とベーコン自身が語っているとおり、南仏の太陽の下で、画家の姿は影法師のように茫洋としている。

抽象絵画には批判的だが、抽象表現は取り入れた巧みさ

裸体:1960年 油彩・キャンバス 152.4×119.7cm フランクフルト近代美術館

 続く「第2章:捧げられた身体 1960s」では、存在感を回復した身体が、観る者に対して投げ出されるかのように描かれた、1960年代の作品を中心に紹介する。ベーコンは画家としてデビューする以前、家具デザインの仕事に就いていた。それを彷彿とさせるソファやベッドなどのモダンな家具の上に、座ったり横たわったりするモデルは、1960年前後からスケッチではなく、記憶と写真をもとに描かれるようになった。

第2章:捧げられた身体 1960sの展示会場:Photograph by Mie Morimoto

 またベーコン自身は抽象絵画には批判的だったものの、当時の美術界で大きな課題となっていた抽象表現の影響を受け、背景を抽象化させていった。背景が抽象化すれば、身体の輪郭は明確にならざるを得ず、そこにはより重要なテーマを与えることができる。それが磔刑図だった。全人類の罪を負って十字架にかけられたイエス・キリストという、「救済」の象徴としての身体を描く磔刑図を、ベーコンは1930年代、40年代、50年代と各時代に描き、しばらくの沈黙の後、1962年に再び描き始めるものの、1965年を最後に離れてしまう。その理由については、担当学芸員の保坂健二朗氏が展覧会図録の中で、第二ヴァティカン公会議との関連を論じる論考に譲るが、ベーコンが磔刑図に託していたものは、以降の作品の中にも、恐らく形を変えて受け継がれていったのではないかと思えるのだ。

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2013.04.27(土)