ゲストの命を守る、という権九郎の思いが詰まっている
編:その高貴で多趣味な建築家が設計したと聞くと、たしかに2軒のホテルの印象が変わってくるような気がします。2軒には、何か共通した特徴がありますか? 外観のイメージは随分と異なる印象がありますが。
稲葉:外観の印象は、おっしゃる通りですね。
権九郎さんには、建築を設計するに当たって、いくつかの信条があって、その言葉が残されています。中でも僕がぜひ、皆さんにお伝えしたい言葉が2つあって、その1つは、「我々建築家は、貴重な人命を預かる容器を造る事を念頭に置いて、まず立派なデザインをする前に、丈夫な建物を造るという観念を忘れてはなりません」
という言葉です。
編:なかなか、心に沁みる言葉ですね。
稲葉:実は権九郎さん、ドイツに「化学」を学ぶために留学するんですが、渡航後に関東大震災が起きてしまうんです。その時全壊してしまった横浜のホテルに、洋画家として世界から既に注目されていたお兄さんが逗留していて、圧死してしまうんですね。その訃報が、渡航先の権九郎さんに届いて、彼は学びの目的を「建築」に変更するんです。
その後彼は、ドイツとイギリスで建築を学んで、自身が考案した久米式耐震木構造で博士号を取得。帰国後、まさにその構造を自分の作品で実践していくんですが、その1軒が日光金谷ホテルの別館でした。
編:建築の構造と聞くと、もうそれだけで難しそうという気がしてしまいますが、独特の構造が生まれた背景にあった悲しい物語を知ると、身近な感じがしてきます。
稲葉:日光金谷ホテルの別館は、各部屋の面積が広く、天井も高くて、ヘレン・ケラーなど著名人が泊まられた快適な部屋がいくつもあることで知られていますが、その3階建ての木造建築の壁の中には、権九郎さんの思いがつまった緻密な構造用の木材が詰め込まれていて、日々、訪れるゲストの命を守っているわけです。
編:なるほど。外観を見ただけではわからない物語と構造が、まさに壁の中に詰まっているわけですね。
稲葉:ホテルを創った人の物語を知ると、僕は、その壁がもう、愛おしくなってきて、つい、こう、優しく撫でたくなってしまうわけです。
「建築物はその地に生えたものだ」
編:軽井沢のほうは、どのようなエピソードがあるのでしょう。
稲葉:これは権九郎さんが遺した、また別の言葉があります。それは、「建築物はその地に生えたものだ。即ちその土地にマッチしたものでなければならない」という言葉なんです。
外観を見ていただくと、緩やかに左右に伸びる切妻屋根があって、妻側、つまり屋根の三角形が見える側ですね、そちらに入り口を設けて正面とする「妻入り」という意匠は、長野県の中南部に分布する本棟造りの民家に通じるものだと語っているんです。
権九郎さんは、留学中に何度も目にした洋風木造建築と、ホテルの敷地になった、信州に古くから伝わる和風木造建築のふたつの意匠を融合して、独自の建築を設計したということなんです。
編:万平ホテルの外観は、一般には、ヨーロッパの山荘風リゾートホテルに似た感じとよく言われていますが、実は地元の伝統的な民家にもヒントがあったと。
稲葉:白壁に木の骨組みが浮き出た外観について、権九郎さん自身が語っているのは、「場所が軽井沢だから土地に合うように信州の民家のデザインを見て歩いて、デザインのヒントにしたんだよ」と語っています。
こういう風に、設計の深い本質をさらりと言葉にするところが、まさに高貴な建築家という感じがして恰好良いですよね。
ですので、広く知られた2軒の老舗ホテルが同じ建築家の設計というだけでも、ちょっとした驚きかもしれませんけど、できれば更に、こうして、その建築家の生い立ちや人柄、こだわりについて知っておいてもらえると、その建築家の設計したホテルが、今までとは違った姿で読者の方々の目の前に立ち上ってくるのでは、と思います。
編:万平ホテルでいえば、他にも見どころはありますか?
稲葉:これは、金谷ホテルの別館にも共通することなのですが、換気への配慮が見られて、そこで過ごすゲストの健康への配慮が見られる、ということですね。
編:それはまさに、現代にも活かしたい心がけですね。
稲葉:おっしゃる通りですね。具体的には、万平ホテルの客室のドアには無双窓という工夫が盛り込まれていて、金谷ホテルのほうでは、客室のドアにも、そして窓にも、欄間が用意されているんです。窓の欄間とドアの欄間を開ければ、外気が気持ちよく通り抜けるという客室です。
編:気持ちよさが伝わってきますね。無双窓というのは?
稲葉:昔から日本家屋のドアや壁に見かけられる、換気の仕掛けです。その一部が二重構造になっていて、内側部分を横にずらしたり、戻したりすることで、その部分が格子状に開いたり、閉まったりするんです。
万平ホテルの場合は、ドア上方の一部に、その仕掛けが施されています。ドアそのものを開けなくても、この無双窓部分を開けることで、部屋の空気の流れをよくしようという仕掛けですね。
四季折々の変化を楽しめる、極上のホテル
編:それはまさしく、泊まって初めて気づく居心地の良さ、ですね。
稲葉:日本には四季折々の変化があります。そういった仕掛けを木で出来た家屋に取り込むことで、四季を観るだけでなく、時に香りであったり、時に音であったり、その変化を家に居ながらにして楽しもうとしていたんですね。そういう姿勢が、日本の建築文化には元々あったわけです。
それがいつの間にか、コンクリートとガラスの建築が当たり前になって、機械による換気も当たり前になって、日本ならではの建築の工夫みたいなものが忘れられてきてしまった。
久米権九郎さんは、そういった日本家屋なりの自然の楽しみ方と、人の命、そして健康を守るという、建築家が果たすべき根本的な使命を、自らのホテルの中に取り込もうとしたのではないかと思います。
編:まさに現代のホテル建築においても学ぶべきこと、活かせることがたくさんありそうですね。
稲葉:おっしゃる通りだと思います。泊まった際にご自分自身が「快適だな」と感じたときに、もしかしたら建築に工夫があるのかもしれない、という視点を持ってもらえたら、滞在中に発見できることが多々あると思いますよ。
編:ありがとうございました。さて、次回は?
稲葉:次回は、建築界で、僕の師匠の師匠、つまり大師匠にあたる建築家が設計したホテルについて聞いて頂けたら。
編:楽しみです。引き続きよろしくお願いします。
万平ホテル
所在地 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢925
https://www.mampei.co.jp/
日光金谷ホテル
所在地 栃木県日光市上鉢石町1300
https://www.kanayahotel.co.jp/nkh/
『夢のホテルのつくりかた』
稲葉なおと・著 発行:エクスナレッジ 2,420円(税込)
明治、大正、昭和。海外に誇れる美しい日本のホテル38軒誕生の知られざる物語を、稲葉さん撮影の写真とともに描いた歴史長編ノンフィクション。
夢のホテルをつくった人びと
2021.02.26(金)
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