「居心地のいいホテルには“歴史”がある」

 そう語るのは、これまで国内外の名建築ホテルに500軒以上、宿泊・取材・撮影してきた紀行作家であり一級建築士の稲葉なおとさん。

 そんな、ホテルのプロフェッショナルに沢山の夢や情熱が詰まった“夢のホテル”の楽しみ方を伺いました。

 3回連載の最終回は、ザ・プリンス 箱根芦ノ湖と志摩観光ホテルに注目。旅好き必見の「稲葉流ホテルの楽しみ方」を紹介します。


ホテル建築の“すべて”を設計した・村野藤吾

編集部(以下、編):この連載では、ホテルは設計した建築家に注目して欲しいという提案を頂いて、第1回は久米権九郎さん、第2回は清家清さんの設計したホテルを2軒ずつ、お話を伺いましたが、さて今回は?

稲葉なおと(以下、稲葉):今回は村野藤吾さんに注目したいと思います。文化勲章をはじめ数々の受賞歴を持つ建築界の巨匠ですね。

 日生劇場などたくさんの有名建築を遺されていますが、ホテルをはじめ、海上のホテルともいわれる客船の内装設計や宿坊まで、新築、改築、増築の設計を合わせると、優に40回を超える設計実績を誇る、ホテル建築家という顔もお持ちだったんです。

編:そんなに、ですか。それはなかなか例がないように思いますが。

稲葉:まさにその通りです。その村野さんについてお伝えしたいことが、2つあるのですが、1つは“すべて”を設計された建築家ということ。もう1つは、事業を成功させ続けた建築家ということです。

編:すべてを、というのは?

稲葉:建築家が設計したホテルと聞くと、皆さんは通常、建築の外観から内装まで、その建築家が全部設計していると思われるかと思いますが、これは誤解です。

 建築家が設計したのはホテルの外装のみで、内装はインテリアデザイナーに丸投げというケースも多いですし、仮に内装まで手がけていても、家具や照明器具は、家具デザイナーや照明デザイナーに委託するケースが少なくないんですね。

編:建築家が全部をデザインしているわけではないのですね。

稲葉:はい。別にそれが悪いということではないのですが、著名な建築家が設計したホテルと聞いて、予約を入れ、案内された部屋で、椅子やベッドまでその人がデザインしていると思い込んで、さすが椅子も座り心地がいいね、と思われたら、それは誤解されている場合が多いということです。

 ところが村野さん設計のホテルの場合には、建築はもちろんですが、家具や照明、ドアの取手にいたるまで、まさにすべてを設計されています。

編:すべてという意味、そういうことだったんですね。

芦ノ湖越しに富士山を臨むロケーション

稲葉:残念ながら、村野さん御自身は亡くなられているので、まったく別の建築家による改装が進んでしまって、大切な村野デザインが壊されてしまったホテルも多いのです。そんな中で貴重な1軒が、ザ・プリンス 箱根芦ノ湖ですね。

 ここは1978年、昭和53年に建てられたので、築40年以上経つ今でも、村野さんのデザインが、ロビーやレストランだけでなく、各客室にも残っています。

編:すべての空間が、村野ワールドということですね。その特徴は、どのようなものなのでしょうか?

稲葉:ひと言で表現すると「細部の細部にいたるまでデザインされた、工芸品のような建築」です。もう少し具体的にいうと、建築の細部にいたるまで、丸みを帯びた、見た目にも、触った感じも優しいことですね。

 訪れた人が思わず足を止めてしまうロビーも、柔らかな曲線を描いた吹き抜けの天井には、貝殻が貼られていて、そこに反射して優しい光が落ちてくるんですが、床に並ぶ椅子が白鳥のような形で可愛らしいデザインなんです。

建築の形状、光、そして家具にいたるまで、優しさに包まれる空間がゲストをお迎えするわけですね。

編:なるほど。その空間だけでゲストは、来て良かった、と思うでしょうね。

稲葉:はい、ですが、ロビーだけで満足して帰ってしまわないように(笑)。

 他の空間、バーにも、レストランにも、廊下、階段、そして客室にも、村野ワールドが展開します。レストランのシャンデリアも、一点もののオリジナルなんですが、村野さんは実寸大の模型で検討に検討を重ねられました。

「一点もの」の工芸品が館内随所に

編:そう伺うと、目にするもの1つ1つの貴重さが伝わってきますね。

稲葉:外観を特徴づける手摺りやバルコニーの曲線にも、村野さんらしさが表現されていますので、ぜひお見逃しなく。もちろん、芦ノ湖越しに臨む富士山も美しく、印象に残ると思います。

編:先ほどおっしゃっていた、村野さんが設計したホテルのもう1つの特徴についても、解説してもらえますか。

稲葉:巨匠と呼ばれる建築家は他にもいらっしゃいますが、ホテルをはじめ、百貨店、カフェやキャバレーの内装まで、商業施設の設計をこれほど数多く手がけた巨匠は、僕が知る限り、村野さんが唯一の存在といっていいと思います。

編:たしかに、建築家の作品と聞くと一般には、住宅や美術館、庁舎のようなものを想像してしまいますが、村野さんの場合には、そういった作品も手がけられつつ、商業施設もたくさん設計されたということですね。

稲葉:そうなんです。僕がなぜ、このことを強調したいかというと、建築家が設計した建築と聞くと、採算を度外視した芸術作品というイメージをもたれる方も多いと思いますが、村野さんの場合、これだけの回数、ホテルを設計されたということは、設計したホテルが、建築界で高く評価されただけでなく、ゲストの方々からも支持され、事業が成功し続けてきたということですね。

編:その解説を伺うと、なるほど、と思いますね。ホテル設計実績の数の多さは、事業主からも、ゲストからも支持を得たということの証でもあるわけですね。

稲葉:村野さんの建築が、人の心を惹きつけることを、逸話として残すのが、今回のもう1軒、志摩観光ホテルです。

2021.03.12(金)
文=CREA編集部
撮影=稲葉なおと