少子化、バブル崩壊……
危機にあった人形工芸界

 長良川のほとりに位置する「後藤人形」は1945年、日本人形工芸士の後藤清峯(せいほう)さんが創業したファミリー企業。

 由香子さんは3歳の頃から祖父である清峯さんの作業場で人形づくりの様子をじっと見つめ、ときには金づちを打つ手伝いをしていたのだそう。後藤人形は、初代の頃はまだ日本人形全般をこしらえる工房でした。

 ところがその後ベビーブームが到来。節句人形の需要が「作っても作っても生産が追いつかない」ほど高まり、制作のみならず卸問屋へと業態が変化していきました。

 由香子さんは早稲田大学を卒業し、岐阜放送のアナウンサーに。夫の通昭さんは同じ放送局のディレクターでした。

 ふたりは職場結婚。由香子さんはアナウンサーを辞め、1997年、28歳のときに後藤人形の三代目として跡を継いだのです。

 岐阜放送を退職して工房を継いだ理由は「ひな祭りという文化」が衰退する危機感をいだいたからなのだそう。

「ベビーブームが去り、バブルは崩壊。少子化が進み、節句人形の業界にはあらゆる逆風が吹き荒れていました。そんななか、彼女は『ひな祭りを見直そう』と考えたんです」

 ひな祭りを見直す、とは?

「雛人形とは、初節句に娘さんの幸せを願って飾られるもの。お姫様は、お生まれになったお嬢様の将来の姿であり、お殿様は将来の旦那さん。

 それなのにいつしか15人を並べる大きな7段飾りが当たり前となり、肝心のお姫様は子どもの目線が届かない遥か上の方に飾られている。

 『雛人形とはそういうものだ』というイメージができてしまっているけれど『本当にそれでいいの?』と」

 もう一度、雛人形づくりを見直し、お嬢様の幸せを願うイベントに立ち返りたい。そのためには、自分自身が作家になるしかないと考えた由香子さん。

 祖父が使っていた道具を手にし、一から職人としての修業を始めました。

2019.02.27(水)
文=吉村智樹
撮影=後藤通昭