京都の学生たちが熱狂的に受け入れてくれた
松本さんが初めて京都を訪れたのはそんなとき。学生運動が高揚していた時代、岡林は社会への不満や理想への希求を代弁する「フォークの神様」としてカリスマ的人気を誇り、学祭やフォークイベントに呼ばれることが多かった。中でも京都は岡林の本拠地だったため、松本さんたちも京都へ行く回数が自然と多くなった。
「京都会館でやったり、京大の西部講堂でやったり、彼の出身校の同志社でやったり。同志社は階段状の大教室でやったのを覚えてる。ぼくらはデビューしたばかりで無名の存在だったけれど、学生たちは熱狂的に受け入れてくれた。岡林のバックバンドというのは大きかったとは思うけど、日本語のロック、文学的で知的なロックというぼくらの世界観をいちばん最初にわかってくれたのは、東京ではなく京都の学生たちだったんだ」










