『あんぱん』の企画は、幼い頃にやなせ本人と交流があった中園からの提案だった(前出「BRUTUS」)。やなせに関する資料は潤沢な一方、妻・暢について明かされていたことはごくわずか。
しかし2024年、日本郵船株式会社に務めていた小松総一郎と結婚・死別していたことがニュースになり、脚本の執筆が進んでいた最中、次郎(中島歩)との展開を急遽組み込むことになったそうだ。

のぶが抱える“大きな後悔”
やなせの妻・暢を朝ドラのモデルにする難しさは、単に資料が乏しかったからだけではない。嵩と同じく、ヒロインであるのぶ自身の物語もまた、長い時間をかけてようやく一つの答えに辿り着く――いわば、超ロングシュートを届けようとしているからだ。
「たっすぃがは、いかん!」と嵩を鼓舞するハチキン(=快活で負けん気の強い性格)なのぶには、大きな二つの後悔が渦巻いている。「軍国教育への加担」と「亡き父の願いを果たせず、何者にもなれなかった自分への後ろめたさ」だ。
『あんぱん』の前半パートでは、やなせの人生観を決定づけた過酷な戦争体験を、2ヶ月以上かけて入念に描いた。作品の軸であるのぶが、教師として軍国教育の渦中に身を置き、「愛国の鑑」と崇められていた設定は、朝ドラの中でも挑戦的だ。一度道を誤ったヒロインに、視聴者が付いてきてくれるかどうかは“賭け”だったようにも思う。

教師になりたかったのぶが夢への一歩を踏み出した女子師範学校時代、厳格な教師・黒井雪子(瀧内公美)の姿を通して、当時の軍国教育がいかに若者の人格形成に作用したかを、容赦無く突きつける。彼女のパーソナルな部分をあえて描かないことで、そうならざるを得なかった当時の空気感を浮き彫りにした構成が巧みだ。

軍国主義に傾倒したのは「そういう時代だったから」に他ならないが、のぶ自身が“自分の頭で考えることを放棄した”せいで、時代の波に飲まれてしまったと悔やむ姿が印象的だった。
「今度こそ周りに流されんように、しっかり自分の足で立って、ちゃんと自分の頭で考えたいと思うちょります」
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- 文=明日菜子
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