修復箇所が見どころとなる「唐物茶碗」

 一方、工芸の方は「ものを大切にするがゆえに改変する」のではないかと、学芸員の多比羅菜美子さん。特に茶碗は、その傷さえ「見どころ」になってしまうことがよく知られており、いかにも日本らしい、「月は隈なきをのみ見るものかは」(吉田兼好『徒然草』)という、完全ではないものを愛でる意識の発生を連想するわけだが、必ずしもそれは和ものの茶碗にだけ発揮される感覚ではないらしい。何しろ「修復個所が見どころ」になっているもっとも有名な例は、唐物茶碗なのだから。

 それが、青磁茶碗《馬蝗絆》(10月1日まで展示。その後、三井記念美術館で10月4日~11月24日展示)だ。南宋時代の龍泉窯で焼かれた茶碗で、六弁の花を象った優美な形、透明感のある色合いが高く評価されてきた。12世紀後半に平重盛が手に入れ、その後足利義政に伝わったとされるが、ちょうど義政の頃にヒビが入ったというので、茶碗を明へ送って類品を求めたところ、これに代わるようなものは現在では手に入らないとして、ヒビを6つの鎹で継いだものが送り返されてきた。義政は手許に戻って来た茶碗の鎹を大きな蝗に見立てて、《馬蝗絆》の銘を与えた──とされる。

 天目や青磁などの唐物茶碗といえば、左右対称性が強く、歪みや欠けのない完全さこそが魅力と考えられてきた。だからこそ義政も、傷のない完形品の茶碗を求めたはずだが、鎹で留められ、「完全無欠」ではなくなってしまった茶碗に、《馬蝗絆》という機知の利いた銘を与えること=「ものに合わせて見方を変える」知的な操作を成功させ、見事に難点を魅力に転じてしまった。

「破壊」とはみなされない「改変」

 書画であれ、工芸作品であれ、多くは鑑賞者が「よりよく見える/見せるために」と考えて、改変を行ってきた。それが成功している限りにおいては、「破壊」とは見なされない。といって、アイディアを持つ誰もが平等に、改変にトライすることを許されているわけでもないようだ。多比羅さんは、たとえば足利義政や小堀遠州のような、「権力だけではない、文化的な権威者」であることが重要だと見ている。

 今展では、南宋時代の牧谿の手になる画巻《瀟湘八景図》(10月19日まで展示。その後、三井記念美術館で11月18日~11月24日展示)にはじまり、高僧の墨跡、和歌を記した古筆切、そして大正8年(1919)、当時の著名な数寄者たちが集まって分断したことで大きな話題になった《佐竹本三十六歌仙絵》、青磁茶碗《馬蝗絆》、火災で焼失後、残ったわずかな破片を集めて漆でつなぎ、さらに鉛を仕込んで、当初の「重量」まで再現した唐物肩衝茶入《松山》など、幅広いジャンル、多彩な手法で「改変」された名品を、国宝4点、重要文化財35件を含む約100件で紹介する(会期中展示替えあり)。

「志野茶碗 銘 もも」 美濃 1口 日本・桃山時代 16世紀/昭和11年(1936) 個人蔵 展示期間:9/20~10/13
国宝「瀟湘八景図 漁村夕照」 牧谿筆 1幅 中国・南宋時代 13世紀 根津美術館蔵 展示期間:9/20~10/19

2014.09.27(土)
文=橋本麻里