「観念的でスッキリしない」という判断から方向転換
しかし、森下氏はこの構想を変更した。
「この仇討ちは、ものすごい観念的やなと思ったんですね。果たしてこれですっきりするんだろうか、すっきりしないんじゃないか。すっきりする方法がないのかなと言っているときに出てきたのが実際に放送された形でした」
超初期のプランでは「謎って面白いねという部分を作るところまでで終わっていた」という。平賀源内生存説を残し、その源内が写楽制作に関わっていたかもしれないという含みを持たせる仕掛けだった。
「写楽自体の作り方や、絵に関しての部分は当初のプラン通り。“敵討ちとガッチャンコする”というところは途中で思いついたこと」と森下氏。当初から予定されていた写楽という謎の存在を治済への「敵討ち」と結びつける展開は、途中で追加された要素だったのだ。
興味深いのは、森下氏のこれまでの作品を振り返ると、必ずしもスッキリ爽快な終わり方ばかりではないという点だ。
『白夜行』は謎の解決より「心の闇と哀しみ」が余韻として残る終わり方だったし、『JIN -仁-』も時空の交差や"運命とは何か"という観念的な主題が結末を支配した。2023年のNHKドラマ『大奥』でも、希望を未来へ受け継いでいくという大きなテーマを結末に据えている。作品や放送枠によって異なるものの、観念的で余韻を残す終わりは森下作品の一つの特徴と言える。
それでも今回、あえて「観念的すぎる」として方向転換したのは、大河ドラマという枠組みと、一年間物語を追ってきた視聴者へのカタルシスを重視したからではないか。
繰り返される「文化的報復」のパターン
思えば『べらぼう』では、権力による理不尽な暴力に対し、文化で打ち返すという構図が繰り返されてきた。
第29回「江戸生蔦屋仇討」では、田沼意知が江戸城内で佐野政言に斬りつけられる。蔦重は黄表紙『江戸生艶気樺焼』を通じて文化で応えた。
第36回「鸚鵡のけりは鴨」では、恋川春町が松平定信(井上祐貴)の政治を風刺した黄表紙『鸚鵡返文武二道』で絶版処分となり切腹。春町は豆腐の入った桶に顔を突っ込み「豆腐の角に頭をぶつけて死んだ」という演出で、死してなお世を笑わせる戯作者としての最後の報復を見せた。
第47回の当初構想も、この系譜に連なる「謎を仕掛ける」文化的報復だった。脚本変更は、同じパターンの繰り返しを避け、よりわかりやすく肚落ちする決着を視聴者に提供するという構成上の判断もあったのかもしれない。










