この記事の連載

 穏やかなトーンで、ひとつひとつの質問にじっくりと答えてくださる三浦友和さん。プライベートでは同じく芸能界で活躍中のおふたりの息子さんを持つ父親でもあります。

 後篇では、前篇に引き続き、映画『遠い山なみの光』での役作りや戦争への想い、そして、三浦家での息子さんたちのとの関係性などについて伺いました。

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自分の息子には「やりたい仕事なら、10年は頑張れ」と

――今年は第二次世界大戦後80年という節目の年でもあります。先ほどの話にもありましたが、映画『遠い山なみの光』で演じられた緒方は戦後に生きづらさを感じた男性だと思います。今回の舞台となった長崎という土地に対しての想いを教えてください。

 我々世代は今の若者よりはやはり想いが深いかもしれないですね。僕の父は出征していませんが、僕の父親世代はみんな兵隊に取られています。残酷な話もたくさん聞いてきましたから、戦争自体、近しいところにあると思います。

 広島はもうずいぶん前ではありますが、原爆資料館も訪れましたし、長崎もロケなどで訪れています。そういう意味でも決して遠くないところに存在しています。

――役作りで特に意識されたことはありますか?

 緒方は戦後に変わってしまった世の中を見て、自分のことを反省する瞬間もたくさんあったと思います。自分がやってきたことはなんだろうと振り返って、ものすごく後ろめたさを感じているんです。

 息子を戦争に送り出し、一度は「お国のために死んで来い」といった父親です。息子はそんなふうに送り出した父親を絶対に良くは思っていない。

 決していい関係とは言えない息子夫婦とはあえて別のところで暮らしていたのに、緒方はある目的で長崎に帰郷し、彼らの家をわざわざ訪ねていく。「なぜそこにいるのか」ということを観ている方に感じていただけるような芝居がしたいと思いました。

――三浦さんにはご子息がふたりいらっしゃると思います。息子さんたちとの関係性を築くのに、大切にされていることなどはありますか?

 時代が違うから、まったく考え方も違いますよね。僕らは僕らで、我々の父親世代とも考え方がまったく違う。ある意味、反面教師にしてきましたから。かつ、自分で自由に選んでこの仕事をやってきている。妻もそうでしたから。

 だから、息子がこの仕事をやりたいと言ったときは反対も出来ないですし、「最低でも10年はやれよ」ということだけ伝えました。10数年経っても頑張っているから、いいんじゃないですかね。それ以外のことは何も望まないですし、何も言ってないです(笑)。

2025.09.11(木)
文=前田美保
写真=佐藤 亘