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叫び声をあげるマリアと、交互に映される無数の顔

 撮影現場で何が起きたのか。それを改めて見つめなおそうとするのが、ジェシカ・パルー監督の『タンゴの後で』だ。マリア・シュナイダーの従姉妹ヴァネッサ・シュナイダーが書いた伝記の内容に衝撃を受けたパルー監督は、この本と入念な取材をもとに、『ラストタンゴ・イン・パリ』の撮影によって一変したマリアの人生を見つめ直す。

 新人のマリアにとって、『ラストタンゴ・イン・パリ』に出演することは、大きなチャンスだった。だから監督の要望に応えようと、現場で課されるアドリブに対応し、徐々に暴力的になる性描写も懸命に演じた。

 だが突然、一線が越えられる。「演技ではなく、彼女が本気で屈辱を感じる様を撮りたい」。そう考えたベルトルッチは、男優のマーロン・ブランドと相談し、マリアには何も知らせないまま、ある過激な性行為の場面を撮り始める。これが公開されれば、世間は驚愕するだろう。その名誉に、男たちは浮き足だったのかもしれない。何もわからないまま、レイプさながらの行為をされる19歳の女性の気持ちも、映画が公開されたあと彼女が世間からどのような視線を浴びることになるかも、彼らは考えもしなかったのだ。

 予期せぬ突然の暴力に、マリアがどれほど衝撃を受け、恐怖と怒りを感じたか。『タンゴの後で』はその瞬間を彼女の側に寄り添いながら映していく。

 何より衝撃なのは、悲痛な叫び声をあげる彼女の顔と交互に映される、監督と撮影スタッフたち、無数の顔だ。彼らは無表情のまま、ただ女優と男優の「演技」を見つめている。そして「カット!」という監督の声が響く。

2025.08.30(土)
文=月永理絵