この記事の連載
日々激変する世界のなかで、わたしたちは今、どう生きていくのか。どんな生き方がありうるのか。映画ライターの月永理絵さんが、映画のなかで生きる人々を通じて、さまざまに変化していくわたしたちの「生き方」を見つめていきます。
今回は、11月16日から日本で初公開される映画『ヴァラエティ』の主人公・クリスティーンに注目。
あらすじ
1980年代初頭のニューヨーク。仕事探しに難航するクリスティーン(サンディ・マクロード)は、友人の勧めでポルノ映画館「ヴァラエティ」で働き始める。未知の世界に驚きながら仕事をこなしていくクリスティーンは、ある日、大勢の男性客のなかで、ひとりだけ身なりのいい服装をした年上の中年男性ルイ(リチャード・デビットソン)に興味を抱く。そしていつしか彼を尾行するようになるが……。ニューヨークのアンダーグラウンドで活躍してきた映画作家ベット・ゴードンが1983年に発表した初長編。
男が女を見つめる場所で、女が男を見つめ返す
世の中には、女が行ってはいけない場所がある。法律で禁止されたわけではないけれど、危ないから行かない方がいい。どうしても行きたいなら誰か男の人と一緒に行った方がいい。今は街中でほとんど見かけなくなったが、私が上京した20数年前、東京にはまだピンク映画館と呼ばれる場所がいくつか残っていた。でも当然一度も足を踏み入れたことはない。
映画が好きで、日活ロマンポルノやピンク映画に興味を抱きはじめたといっても、若い女がひとりで足を踏み入れるには、そこはあまりにハードルが高い場所だった。男だったら行きたかったのかと言われるとよくわからない。でも、女性は行かないほうがいいよ、と言われると釈然としない気持ちになった。
だから『ヴァラエティ』で、主人公の若い女性が、客としてではなく従業員としてポルノ映画館に足を踏み入れることに、なるほどこの手があったかとハッとした。
ベット・ゴードン監督は、ポルノ映画館で働く若い女性の映画をつくった理由について、「男性的な空間に侵入し、それを覆したかった」と語っているが、たしかにクリスティーンが働くポルノ映画館では、一緒に働く従業員も、やってくる客も、どこもかしこも男ばかり。そのなかにひとり女性が入っていくなんて危険な行為に思えるが、仕事という名目があれば、クリスティーンのように平然としていられるのかもしれない。
そうはいっても、彼女が映画館の外でチケットを売る様子が映ると、思わずギョッとしてしまう。どぎつい色のネオンが光り、女性たちのヌード写真がずらりと並ぶ空間のど真ん中に据えられた小さなブース。その中に座る若く美しい女性の姿は、まるで小さな檻に囚われたお姫様のようで、ドキドキした。
ところが、カメラがブースの内側にいる彼女の視点に立った瞬間、それまでとまったく別の景色が広がる。ガラスに覆われたブースの内側で、クリスティーンは、ハイチェアに座ったまま動じることなく男性客たちを観察する。その視線にたじろぎ気まずげにしているのは、むしろ男たちのほう。いつも女の体を一方的に見つめ、品定めすることに慣れている男たちは、自分が同じように女性から見つめ返されるとは、考えてもいないのだろう。
木の枠で縁取られたブースのガラス窓は、内側から見ると、まるで映画のフレームのようにも見える。つまりクリスティーンは、ポルノ映画館に通う男たちを、フレームを通して観察しているのだ。
映画館の中には裸の女性たちを見つめる男たちがいて、外にはセックスに飢えた男たちを見つめるひとりの女がいる。男が女を見つめる場所で女が男を見つめ返す。そうして本来ここにあるはずの力関係をガラリと変えてしまう。その様があまりに痛快で、若い頃に抱いた密かな夢を叶えてもらった気持ちになった、と言ったら言い過ぎだろうか。
2024.10.30(水)
文=月永理絵