どうして他人をジャッジしてしまうのか?

――ご著書の中で、競争意識から解き放たれたときのことも綴っていらっしゃいます。そう感じるようになったきっかけは何かあったのでしょうか?
以前の私は、「あの人より自分のほうが仕事ができる」と思ったり、「私のほうがちゃんと一生懸命生きている」と、無意識に周りの人と自分を比較しながら生きていたところがありました。相手のことをよく知らないのに、勝手にジャッジしていたんですよね。
でも、どうして自分はそうやって人をジャッジしてしまうんだろう?と考えてみたとき、そこには「優越感」と「劣等感」が表裏一体で存在していることに気づいたんです。競争社会に生きながら、常に自分を相手と比べて、上か下かをはかろうとする、その感覚がどこかにあって。でも、それってとても危ういことだし、何よりそんなふうに考えてしまう自分を、私はあまり好きじゃなかったと思うんです。
そうした気づきがあってから、少しずつ「比べること」「競うこと」に縛られずにいられるようになってきた気がします。
――自分の中に、人をジャッジして勝手に優越感を感じている一面があることを認める作業には厳しさもあったのでは?

めちゃくちゃつらかったです。自分ではマイペースに生きているつもりだったのに、丁寧に自己と向き合う作業をしてみたら、そこには競争心をメラメラと燃やし、負けたくないと思うあまり、自己を他人を比較することをやめられない自分がいたんですよね。その現実を直視するのは苦しくて、作業中はまさに満身創痍でした。でも、たとえ痛みを伴っても、あの時間はやるべきだったし、避けては通れなかったと思います。
「負けたくない」という気持ちは「勝ちたい」と表裏一体なわけですけれど、人生は勝ち負けじゃない。結果よりも、どんなプロセスを生きるかということのほうが大切だと気づいてからずいぶん楽になりました。痛みを経験したからこそ、見えてきたものもたくさんあります。
――どんなことが見えてきましたか?
昔は、新しく誰かと出会っても、「このタイプの人はちょっと苦手かも」と勝手に線を引いて、距離を置いてしまうことが多かったんです。でも、少し時間をかけて話して、相手がどういう場所からどんな旅をしてきたかを少しでも理解できると、意外と気が合ったり、その人から教わることがあったりするんですよね。
どんな人にも、それぞれの背景があって、みんなそれぞれに一生懸命生きていて、何かしらの苦労を抱えている。そんな、ごく当たり前のことにあらためて気づかされました。
結婚していない女性は野垂れ死ぬ?

――「子どもがいないと、老後に寂しい思いをするから産んだ方がいい」などと、決めつけられることもありますよね。将来への不安を煽るような言葉で、強迫観念を植え付けられてしまうことも少なくありません。
いまだに「女性は結婚して出産をすることが幸せである」といった価値観を押し付けてくる社会なのだと思います。私には子どもはいませんが、『ピンヒールははかない』を出版したとき(2017年)に、「そんな生き方をしていたら最後は年を取って野垂れ死ぬ」というようなコメントを書かれたことがありました。一瞬、くらいそうになったのですが、そういう恐怖を植え付けて、女性たちをしばり続けようという力が働いているのだと思いました。そもそも野垂れ死ぬ前に、交通事故に遭って明日死ぬ可能性だってある。どんな人生を選択しようが、つらいことも大変なこともあります。恐れさせることを目的とした刷り込みに負けずに好きなように生きようとかえって強く思うようになりました。野垂れ死ぬことを恐れて、自分らしくいられない人生なんて嫌ですから。
結婚をして子どもがいても寂しさを感じることはあるだろうし、不幸を抱えることもあるでしょう。結婚していない女性は不幸だと決めつけてくる社会には抗いたい。未婚の女性が寂しさを抱えていたとして、それはパートナーや子どもがいないことによるものなのか、コミュニティや信頼できる人間関係に囲まれていても寂しいだろうか、寂しさや苦しさって、そんな単純な方程式で理解できることではないはずです。
2025.08.16(土)
文=高田真莉絵
撮影=佐藤 亘