「親戚が毎年送ってくれるの。ベルギー製で、すごくおいしいのよ」

 女性は箱を差し出す。俺はそこまでチョコが好きじゃない。というより、全体に甘いものがそこまで好きじゃない。だが、食べなければ申し訳ない気がして、箱のなかをじっと見た。

 ハート型のもの、貝の形のもの、鳥の形のもの、ナッツやココアがまぶされたもの、楕円の中央に柄が刻印されているもの。

 どれにするか考えているうちに、自分がなにか探し物をしていたことを思い出した。だが、なにを探していたんだったか。なぜか思い出せない。思い出せないままチョコを見つめ、形に惹かれるものがあって、白と茶色のマーブルになった巻貝のチョコを選んで指でつまんだ。

 女性はうれしそうににこにこと微笑んでいる。俺もぎこちなく笑い返し、チョコを口に運んだ。濃厚なチョコの味と香りが口のなかに広がり、甘さがぎゅんと脳天を突く。そしてなぜか、俺はこの味を知っている、と思った。これと同じものを前にも食べたことがある。

 そのときも、ここでだった気がする。俺はこの場所に来たことがある。この女性のことも知っている。だが、思い出せない。この女性のことも、この場所のことも。

 自分のことも。

 そう気づいてぎょっとした。

「どうかした?」

 女性が訊いてくる。

 言おうかどうしようか迷ったが、女性のやさしい笑みを見て、思わず、実は、と口を開いた。

「自分がだれかわからなくなってしまって」

 そう言うと、女性は目を丸くした。

「自分がだれかわからない?」

「そうなんです」

 俺はそう答えた。俺はこの人を知っている気がする。彼女の態度も親しげだ。彼女は俺を知っているのかもしれない。もしかすると俺がだれなのか教えてもらえるかもしれない、と期待した。

「それはたいへんねえ」

 だが、女性はこともなげにそう言っただけだった。

「人間、生きてるとそういうこともあるわよねえ」

「いえ、そういう哲学的な話ではないんです。自分がだれか、まったく思い出せないんですよ。名前も、ここがどこで、どうしてここにいるのかも」

2025.07.02(水)