「たなか屋」五度目の味は?
五度目の訪問になる今回も、期待は裏切られなかった。明石のさわらを使った自家製コンフィと春にんじんのマスタードマリネのおいしかったこと。鱧(はも)は新玉ねぎとの南蛮、天ぷらの2種でいただく。身がふくよかで、柔らかで、やさしいうま味に富む鱧だな……。「たなか屋」さんで今季の初鱧ができて、うれしくてちょっと涙目に。


訪ねた日は能登のおでんなんてメニューもあった。聞けば先日旅されて、うまかったものをあれこれ仕入れてきたそう。能登応援の気持ちが感じられてくる。あちらではおなじみの白身魚「めぎす」がつみれで食べられますよ、と。「機械でミンチにしたもの、手ですったものの2種があって、それぞれにおいしいんです」なんてプレゼンにまたわくわく。食べ比べてみると機械の方はさっぱり軽く、手ずりはふっくら仕上がって香りが濃い。合わせたくなる酒も変わるなあ、なんて思いつつ盃をまた空けてしまう。

「たなか屋」定番の自家製オイルサーディン、出汁巻き玉子、野菜のアーリオ・オーリオもお願いした。ここの出汁巻きは三つ葉が入るときもあれば、穴子が入っていることも。今回はあおさ海苔入りで、風味がよかった。
「わあ、出汁巻きあんで」
「頼もか」
「ええなあ」
60代ぐらいか、隣りあったおっちゃん連が目を細めてうれしそう。西の柔らかい言葉を感じながら、「たなか屋」セレクトの日本酒やワインを飲む時間がたまらない。旅情が身を心地よく包んでくる。

ここまで読まれて「食べ過ぎ」と思われてるかもだが、ひとり客だと「少しずつお出ししましょうか」なんて必ず聞いてくれるのがまた、うれしいのである。だが少量といえど、さすがに全メニュー制覇はできない。毎回来るたび「全部食べたかった……」と本気で思う。マジで思う。だからこそ今回、2泊旅行にしたのだ! 2日通って、悔いなく食べて飲んで「たなか屋」を存分に満喫したい、そんな思いを成仏させたかったんだ……!

あ、そうそう。こちらのお店、立ち飲み店と書いたが、商店街にある酒屋さんの角打ちなんである。だから気に入ったお酒を買って帰ることもできるし、店の酒を選んで持ち込むことも可能(持ち込み料あり)。
明石は漁師町で、もともと立ち飲みの多い地域。「たなか屋」さんは以前、乾きもの中心の角打ちだったのが、現在の女将・田中裕子さん(酒店の三代目の妻)の代になってから「日本酒の面白さを伝えたい」そして「やるからにはちゃんと作った料理を出して、私も楽しみたい」と決意されて改革に至り、現在のような酒肴天国と化していったのである。

裕子さんが女将さんになって、今年で22年目。ファンは全国に増えて、その味に惚れ込んだ編集者は裕子さんのレシピ本まで作ってしまった(「明石・魚の棚商店街「たなか屋」の絶品つまみ」誠文堂新光社)。
とにかくいつ行っても盛況で、この店が大好きなんだな……というのが丸わかりの客で満ちている。行くたび「明石でいちばんの飲み屋やで」なんて自分のことのように自慢する人と隣り合う。ここにいることがうれしい、また来られてよかった……なんて思いの客でいっぱいの空間というのは、良きアトモスフィアに満ちているもの。そんな空気を吸っているうち、自然と気持ちがほぐれて笑顔になってしまう。気がつけば、溜まっていた心の憂さが晴れている。
ああ、やっぱり来てよかった……!

2025.06.20(金)
文・撮影=白央篤司