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私たちは働いてるんだ。おっぱいが出てるからなんだ。忙しいんだ――愛おしい膝の黒ずみが物語るのは、“本物のバニーガール”としての矜持だった。魔法のない時代に生きる「魔女」たちとの交流を描いたエッセイ、第7回です。(後篇を読む)

 バニーガールは膝が黒い。私たちは今日1日の出勤のあいだ、いったい何度床に膝をついたのだろうか。100均で買ってきたシリコン製の「つま先クッション」を膝に貼り、その上からストッキングと、破れにくい丈夫な網タイツを穿く。ピンヒールの規定は7センチ、口紅は普段なら絶対につけない、日の丸のような紅色をべったりと塗るのがこの店の決まりだ。私はもう10年以上もバニーガールをやっている。この店に入ってからまもなく4年。きっかけをくれたのは、それ以前に働いていたバニーガールズバーの常連夫婦だった。

「あの店以外のバニーガールはね、私に言わせれば全部偽物よ。日本で本物のバニーガールって言ったら、あの店のバニーガールだけなんだから」

 何十年も前にその店で働いていたという奥さんは、いつも誇らしげにそう私に話していた。私だって名前くらい聞いたことがある。会員制のレストランかなにかで、昔からある古い店。バニーガールがいるにもかかわらず、そこはお金持ちしか入会できない上品な店らしかった。ていうか、そもそも“本物のバニーガール”ってなんだろう。バニースーツを着ている時点で、それはもう本物のバニーガールと言えるのではないだろうか。どっちにしろ、大森のガールズバーで浴びるように酒を飲みながら働いている私には関係のない世界である。

 そのときはおとぎ話を聞くように話半分に聞いていた私だが、それからまもなくコロナ禍となり、夜の店は軒並み休業。ギリギリまで出勤を続けて案の定コロナに感染した私は、家族に懇願され、長年働いたガールズバーを辞めることになった。並行して働いていた会社もクビになり、その失業保険でしばらくのんびり過ごしながら、さてこれからどうしようと考えていたとき、以前バニーキャバクラで一緒に働いていた友人から、件の店の求人募集を知らされたのだった。

 一緒に面接を受けようと約束していた彼女は、当日すっかりそれを忘れてジムにいるらしかった。開店前のずっしりとした扉をおそるおそる開け、案内されたラウンジのソファーに腰かける。夏の暑さが落ち着いてまだ間もなく、壁一面の窓ガラスからは夕暮れの光が差し込んでいた。あと1時間ほどで開店するのだから、バニーたちはまだ明るいうちから働くことになるのだろう。私の中で、バニーガールは夜の生き物だった。こんな明るい店の中で、おしりを出して働いていいのだろうか。面接シートを書き、店長の質問にたどたどしく返事をする。「モデルの仕事が急に入ったときは、ご迷惑をおかけするかもしれません」申し訳なさそうにそう言いながら、頭の中のもうひとりの私が「ふん。モデルの仕事なんてほとんどない癖に、」と鼻白んでいた。面接を終え、日を置いてバニースーツのフィッティングをした。面接に合格しても、身体に合うバニースーツがなければ働くことはできない。運よく着られるサイズが見つかり、私はこの店で働くことが決まった。なんとなく、頭につけた耳の片方をペコリと折り曲げると、先輩のバニーは「ガールズバーじゃないんだから」と笑って、決められた耳の角度にするための分度器を私に手渡した。

2025.06.03(火)
文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香