
フライドチキンとかけまして、昭和の洋食と解きます。その心は、あの衣(頃も)いまも変わらず気分がアガるでしょう!
じめっとした季節をカラッと揚がったフライドチキンで乗り切るというひとも、夏本番に向けてチキンとダイエットに励むというひとも。「365日、いつでもフライドチキンが恋しい!」というご同胞のための短期連載、その名も「フライドチキン齧り隊」。
肉を糧に生きる肉食系ライターの小寺慶子が、時代を経ても“伝説”として受け継がれる、フライドチキンが自慢のレストランをご紹介します!
【第四夜】“宇宙イチ”として語り継がれる伝説のフライドチキンを求めて

目まぐるしく変化する世の中にあって、最近は“不易流行”という言葉を耳にする機会が増えた。時代が変わっても物事の本質を忘れることなく、世の中のムードに合わせて変化する流行を上手く取り入れるのは簡単なことではないが、日本の食はまさにこの“不易流行”の考えのもとに進化している。
鮨、焼鳥、焼肉はもちろん、日本人が愛してやまない洋食もそのひとつ。昔から変わらないスタイルや店に息づく空気感を大切にしながら、お客さんに喜んでもらえるように少しずつ進化している洋食店は、海外でも認知度が急上昇。

麻布十番で「TARO Azabujuban」を営む岩本忠さんは、いまなお洋食界の伝説として語り継がれる「銀座キャンドル」を創業した祖父母の志を受け継ぎ、“不易流行”の心のもとに、その食文化を国内外に広めている。「日本の洋食を多くの人に知ってもらいたい」と、8年前に一般社団法人日本洋食協会を設立し“Yoshoku”が世界共通語になることを目指して活動している。
「祖父母が『銀座キャンドル』を開業したのは1950年だったとずっと聞いていたのですが、最近ひょんなことから1940年代にはすでにあったのではないかという話になったんです。僕のなかでも歴史が塗りかえられた瞬間でした」と岩本さんは嬉しそうに話す。

「銀座キャンドル」といえば、三島由紀夫や川端康成をはじめ多くの著名人が通ったサロン的な洋食店。当時、舌の肥えた健啖家たちを夢中にさせた名物料理のひとつが、あの美輪明宏氏に「宇宙イチ美味しい」と言わしめたチキンバスケットだ。
「あとから聞いた話ですが、祖父母は当時、有楽町にあったアメリカ人の将校以上しか入ることができないダンスホールに通っていたそうです。そこでアメリカ文化に触れるうちにダイナーのチキンバスケットを再現しようと考えたのだと思います」と岩本さん。
子どもの頃から「お弁当にも当たり前に入っていた」という手づくりのフライドチキンは、岩本さんにとって思い出の味であると同時に、自身の生き方を決定づけるものでもあった。

当時、店舗を構えていたビルの老朽化によって「銀座キャンドル」は、2014年に惜しまれつつ閉業。それでも、多くのひとに愛された味を時代に合ったかたちで残すにはどうしたらよいかを模索し、2023年に開いた「TARO Azabujuban」で再び、チキンバスケットを“復活”させた。
2025.05.25(日)
文=小寺慶子
写真=榎本麻美