しかしなんと言ってもシリーズ最大の魅力は、困難に立ち向かって勝利する主人公たちだろう。一人称で一作ごとに異なるが(例外であるシッド・ハレーとキット・フィールディングについては後述)、みなフェアで、謙虚で、精神的にたくましい。悪を描くのがうまい作家はたくさんいるけれど、フェアネスを描いて人を感動させる作家はまれである。だからこそ、どの作品も読後感が格別に爽快なのだ。

 その父親のシリーズを継いだのが、次男のフェリックス・フランシスだった。フェリックスはロンドン大学で物理学と電子工学を専攻し、高等物理の教師として十七年働いたあと、一九九一年から父フランシスの執筆の管理業務にたずさわっていた(ペンギン・ランダムハウス社の著者紹介より)。ただ、そのまえから父作品の調査やプロット作りを手伝っていて、たとえば『配当』(第二十作)の主人公の物理教師や競馬予想システムという設定にそれが生かされている。

 やはりディックの執筆活動を支援していた妻のメアリが亡くなった二〇〇〇年以降、フェリックスが彼女の役割も引き受けたことは想像にかたくない。そのことは六年のブランクのあと発表された『再起』(第四十作)の謝辞からもうかがえるし、旧シリーズ最後の四作、『祝宴』、『審判』、『拮抗』、『矜持』はディックとフェリックスの共著になっていて、これらはフェリックスの作家としての助走期間と言えるかもしれない。料理人や軍人を主人公にしたり、法廷場面があったりと新たな趣向も取り入れ、やや印象の薄い三十番台の作品群より質が上がっていると思う。

 そしていよいよフェリックス・フランシスの単独デビュー、すなわち「新・競馬シリーズ」の幕開けとなったのが『強襲』(イースト・プレス刊)だった。原書の刊行が二〇一一年なので、このとき彼は五十八歳。遅めの本格デビューだったかもしれない。これもまた快作で、主人公は元騎手のファイナンシャル・アドバイザー。殺された同僚の裏の生活を巡る謎解きが興味をそそるし、やはり馬を走らせたかったのだろう、クライマックスのあの場面では胸が熱くなる。英語圏では最新作のSyndicateまですでに十三作が上梓されているが、残念ながら邦訳刊行のほうは途絶えていた。

2025.05.21(水)
文=加賀山卓朗