――でも、デビューが決まりましたよ、という段階では、流石に隠せませんよね?
古舘 未成年だし、レコード会社との契約には親の判子が必要でしたし。デビューにあたって、父親からは、「俺はマジで一切応援しないから、縁を切るぐらいの覚悟でやれよ?」ときっぱりと言われました。
「僕、古舘の息子なんです」とカミングアウトしたら変な空気に…
――とは言え、メジャーシーンでバンドのフロントに立てば、身元も徐々に分かっていくわけで。
古舘 僕も僕でそんなに悩むのならば芸名を使えばよかったのに、本名でデビューしちゃったんで。高2のとき、ミュージシャンを志す高校生を紹介するテレビ番組があって、父親は一切関係なく、純粋に音楽だけで声をかけてもらったんですが、取材を受けているうちに、「あ、そういえば、この番組、テレ朝だ」と気付いて。テレ朝といえば父親。でも、相手は全く気付いていなかったから、僕も何も言わなかった。ところが、僕らThe SALOVERS全員と番組スタッフとの打ち合わせの席で、「出会った頃の印象は?」という話題になったとき、うちのベース担当が、「最初は芸能人の息子だと思って……」とか言ったもんだから、「え? どういうこと?」と不穏な空気になって。

――ああ(苦笑)。
古舘 仕方がないので、「すみません。言ってなかったんですけど、僕、古舘の息子なんです」と話したら、もうめちゃくちゃ変な空気になって打ち合わせも中断しちゃって。結局、番組側が僕の気持ちをちゃんと察してくれて、無事出演して、放送でも父親の話題は一切触れられなかったんですけど。デビュー後も、週刊誌に「古舘伊知郎の息子」と書かれたり、「コネなんだ?」と言ってくる同業者や先輩ミュージシャンもいて。そういう経験が重なると、「せっかく自分で頑張ってるのに」と、余計に父親の存在がコンプレックスになるし。人のせいにしたいわけじゃないですけど、そんな流れでどんどん心を閉ざしちゃったんです。
――じゃあ、親子の仲もあまり芳しくなく?
古舘 ところが、これがまた偶然なんですが、The SALOVERSが終わって少し後に、「報道ステーション」が終わって、父親がバラエティやカルチャーの世界に帰ってくるんですね。僕は、The SALOVERSが終わって、役者業が忙しくなって、NHKの朝ドラや時代劇に出させてもらったりして、少しずつ世界が広がって、トゲトゲしかった心も丸くなってきて。いつの間にか父親のことも全く気にならなくなってきた頃に、「こないだお父さんと仕事したよ」という方とお仕事をご一緒したり、何となく合流し始めるような感覚を持つようになって。すると、僕がadieu(※アデュー。上白石萌歌のアーティスト活動)に提供した曲を、父親がラジオでかけてくれたりと、徐々に交流するようになって。20代の後半で初めてサシで食事に行って、父親に相談事とかするようになって。
2025.04.24(木)
文=内田正樹