さらにこの事件には後日談がある。6年後の同日、上野駅で同様に転落事故が起きた。その時、3人の男性が助けようとホームから飛び降り、今度は無事救出は成功。助けようと線路に飛び降りた男性の1人は、ちょうど亡くなった韓国人留学生の母が書いた本を読み終えたばかりで、事件をモチーフにした映画も観ていた方だったという。
自己犠牲をいとわずに人命を助ける行動に、勇気をもらったと男性は語っていた。同様のケースは非常停止ボタンも有効ではあるが、眼の前の危険に対し、私たちはどんな行動を取れるだろう。極限状態において発揮される勇気。それは連鎖し、次の誰かを動かしていく。

駈も勇気を受け取った一人だったのかもしれない。でもカンナは、駈のドラマ化の話が来ても、駈がどんなに周囲から聖人扱いされても、至極冷静だった。それでカンナの悲しみが消えるわけではないから。本当はそっとしておいてほしい。駈が死んだことには変わりがない。残された人間のこの描写は本当にリアルだった。
坂元裕二が描く、夫婦関係の再生
(以降は『ファーストキス 1ST KISS』についてのネタバレを含みます)
この作品の一番の見どころは、駈を助けるために過去に戻り続けるカンナの奮闘だろう。それが再び同じ人を好きになるためのロマンチックな行為に接続されているところも、映画としてすばらしかった。再び抱けた恋愛感情も、過去に戻るエンジンだったのだろう。
夫婦関係の(要は人間関係の)再生は、坂元裕二が度々描いてきたテーマ。たとえばドラマ『最高の離婚』は結婚生活における愛情や不満、期待と現実のギャップが細かく描写された作品。喧嘩をすればすぐ離婚話になる夫婦が実際に離婚し、最終的に「だめな夫婦だね」と認め合いながら関係性を見つめ直し、修復していく物語だった。
結婚も離婚も紙切れ1枚の問題。婚姻関係を維持することが目的の物語ではなく、お互いの気持ちが通い合うことが大切な作品だったといえる。『大豆田とわ子と三人の元夫』もSPドラマ『スイッチ』もその点は同様だ。
夫婦の場合、再生で取り戻したいことの一つに恋心があると思う。『カルテット』では今作同様に、恋愛関係にあった頃に時間を「巻き戻す」ことに挑んだ回がある。1年ぶりに夫・幹生(宮藤官九郎)と再会する真紀(松たか子)の恋心は健在で、2人で過ごした部屋に戻ると、居心地の良さを感じる。しかし、夫の気持ちは巻き戻らない。幹生が放つ「愛しているけど、好きじゃない」という台詞はあまりにもつらすぎた。
『カルテット』は有名な「唐揚げにレモン」をかける描写で伝えていたように、二度と戻らない「不可逆」性と、だからこそ先に進むことの大切さを描いていたが、本作はどうだろう。
カンナはどうしても諦めず、何度も何度も不可逆に抗おうと挑み続ける。それは、駈の命を救うためだから。カンナは駈が命を落とす未来を変えたいと願うが、それは駈が転落事故を前に人命救助をしたのと同じことを、実はカンナもしているということになる。結局お互い、眼の前の人に死んでもらいたくないのだ。これは人間の本質的な善意の結果ともいえる。でも、何度過去をやり直しても、未来は変わらない。
でも、2人がお互いに気持をぶつけ合うことができた結果、変えられたことはあった。駈は、いい夫婦関係を継続すべく努力ができるようになったのだ。この姿勢は多くの人が参考にすべきだと思う。人間関係は、ひとえに努力の上に成り立っている。挨拶など、日常における優しいコミュニケーションを心がけること。些細な日常を大切に積み重ねていくこと。相手を思いやること。そういう日々を幸せだと思うこと。全部、意識しないとおろそかになってしまうことだ。
『花束みたいな恋をした』はカップルでは観るな! と言われたが、本作はむしろパートナーと一緒に鑑賞することで、互いに襟を正せる作品になっていると思う。今、お互いに好き合って一緒にいられていることの奇跡を改めて実感できるからだ。
坂元裕二はこれまで、人が覚悟したり、なんらかの行動をして、前を向く瞬間を多く描いてきた。それはどんな苦しい状況下でもだ。その中で、人が顔を上げて前を向く様や、それから最後、日常を取り戻すまでをしっかりと。
本作におけるカンナの、過去に戻って駈を助けようとする決断も、最終的に未来の駈が下した決断も、とてもポジティブな選択だったと思う。だからこそ、映画館をでた後の私たちも、悲しみに触れるだけでなく、ちゃんと前を向くことができる。明るい気持ちが残り、自分や周りの人をもっと大切にしたくなる作品だった。大丈夫、私たちはもう、失敗せずに餃子を焼くことができるはず。

2025.02.19(水)
文=綿貫大介