それで、「あ、ここまで落ちたか」と思ってね。ホームレスと同じだな、という心境になった。実際あそこまでやる必要はないというだけで、ほんとのところ、心情的にはずっと近いところにいるんだ、と感じた。だったらホームレスを主人公に小説を書いてみよう。それがきっかけです。

 ですから主人公のひとり、椎葉というホームレスが元刑事だったという設定も、特別奇をてらったつもりはないんです。探偵として事件を解明していく素地をもたせるためには、元会社員よりは説得力あるでしょう。それだけのことです。

――椎葉は警察学校の教官も務めた優秀な刑事だったが、数年前に職を辞し、離婚してテント生活を送っている。刑事の夕子は憧れの教官だった椎葉と偶然再会、行き詰まった捜査を打開すべく、日当二千円で「ホームレス探偵」椎葉を雇う。仕事への情熱は一直線だが、煮詰まって空回りすることもしばしば。やることが不器用で、甘えるのが苦手。 夕子は今までの樋口作品にはない新しいタイプのヒロインといえる。

樋口 そもそも、女性が主人公の小説というのが珍しいんですよ。理由は私の文体です。デビュー以来十年以上、ほとんど一人称で書いてきたんです。一人称の、あのぶつぶつゴタクを並べるような感じが好きで、こだわってもきたんだけど、そうするとどうしても主人公はひとりで、男の視点になってしまう。その上、一人称で書くというのは技術的に制約が多い。特にミステリーだと、主人公の目を通したことの中だけで事件を解決していくわけですから、その縛りのきつさは並大抵じゃないんです。

 これじゃ世界が拡がらない、このままではやばい。そう思っていたところ、前々作の『魔女』の時、当時の担当編集者が非常に熱心にアドバイスをしてくれて、思い切って変えたんです。ずっとこだわってきた文体を変えるのはしんどい作業でしたけれど、そのおかげで今回、複数の主人公や女主人公を書けたんだと思います。

2024.10.30(水)