――文体の転換は、樋口さん自身の動きも軽くした。著者のカメラは自由自在に作品世界を飛び回り、情景を切りとっていく。

樋口 こうすれば見せ場が作れるとか、このシーンは美しいなとか、距離をもって考えられるようになりました。何でも出せる、どうとでも動かせる。もう楽で楽で。書きたいように書けるのが嬉しくてね。作家のくせに今まで自由に書けなかったのかといわれると、できなかったんですよ、不器用なことに。おまけにカネの工面からも解放されたから気持ちもゆったりして、つい八百枚も書いちゃった(笑)。

――「おれがプライドを棄てたのは、プライドなんか棄てたほうがいいと判断したからだ。人間はプライドさえなければ、もっと簡単に、平和に生きられる」
 本文中の椎葉の言葉だが、これは樋口さんの言葉でもあるようだ。

樋口有介さん
樋口有介さん

樋口 椎葉も最初はもっと屈折した男として書くつもりだったんです。それが、改稿作業の中で何を考えているんだろう、何がやりたいんだろうと、椎葉という人間を剥いでいくうちに、わからないや、という結論に達した(笑)。もしかしたら、そんなものもないんじゃないか、とも思った。椎葉は別に人生を投げ出して自棄(やけ)になっているわけでもない、世をすねて呪っているわけでもない、ただし働きもしない。それだけなのかもしれないなって。

 これでいいんだよ、と思いましてね。 現実に今の私も、これに近い心情があります。若いときは上昇志向の強い人間でしたけれど、歳もとって、今の家にひっこんで、カネの工面や人づきあいを()ぎ落としてみるとね、不思議な解放感をおぼえた――人生の基本は、静かに生きて静かに死ぬということ、と思うようになったんです。もちろん自分は仕事するし、もうちょっと盛り場が近いといいな、とかの欲も捨てられていないんだけど、堕落することと人生を諦めることは、似ているようでまったく別のことのような気がします。

――著者はホームレスとその暮らしを突き放すでもなく寄りそうわけでもなく、淡々と程よい距離をもって描いている。それでも読む側に、どこか一抹の羨ましさを感じさせるのはなぜだろう。 家族を惨殺された上に誰にも言えない深い悩みを持つ女子高生・美亜が、公園でホームレスたちの暮らしに触れ、「自分もホームレスになれるか」と椎葉に問うシーンがある。普通ならありえない話だが、読む側に不自然とは感じさせないのだ。

2024.10.30(水)