樋口 日本人の中には、漂泊する人たちへのほのかな憧れのようなものがあるんだと思いますね。デビュー前に、やっぱりカネがなくて秩父の廃村で暮らした時期があるんだけど、近くの年寄りの話聞くとね、瞽女さまとかが山越えて来たり、炭焼きとか、いろんな人が回ってきていたんだって。私が生まれて以降の話ですよ。私自身、もう四回くらい引越しをしているんですが、定住しない暮らしもひとつの人生のかたち、そういう価値観を受容するところが連綿とあるのではないかと思いますね。
――本作はミステリーとしても上質な仕上がりをみせている。骨太なプロット、大胆なトリック、そして細やかな情感。小説の面白さを満喫できる長篇小説となった。
樋口 今回いちばん気をつけたのはね、とにかく最後まで手を抜かないこと(笑)。そんなの当たり前だと思うでしょう。ところが読者からよく「最後があっさりしすぎ」と言われていたんです。それは犯人が分かったあとまでぐずぐず言うのは嫌だという私の好みゆえなのですが、まあそう受け取られていたのは確かなわけですから、とにかく今回は最後まで、読者が納得するまできっちり書き上げようと決めました。
――デビュー以来自らに課してきたストイックな手法を手放したことが、樋口さんに、この新たな変革を試みる心の余裕をもたらしたようである。
樋口 それも成功したと思うなあ。自分で言うのは恥ずかしいものがありますが、これはたぶんデビュー以来最高傑作じゃないかと思うんです。気持ち良く書いて、その気持ちが今も残っている。そういう作品は、読者の方も気持ち良く読んでくれるのではないかと思います。他の人の小説を読んでいても、「あ、気持ち良く書いているな」というのがわかる作品は、やっぱり傑作ですからね。
実はデビューしてから十年間は、いっさい小説を読まなかったんです。じーっと自分だけの視点でやってきたわけだから、ある意味すごいんだろうけど、やっぱり疲れるし無理がありますよね。その頃は一作書くとへとへとになって、何カ月か次の仕事に手がつかなかった。五年くらい前から読むようになったんですが、いちいち感心してます。ひとの小説は勉強になります。 今さら何なんだと呆れられそうですが(笑)。結局、ちゃんと作家らしく小説を書こうと思ったということなんですね。十五年目、二十四冊目にして。
2024.10.30(水)