この記事の連載

「湯屋」は江戸の健康ランド! しかし風紀上の問題も…

 やがて鎌倉、室町と時代が進むにつれ、金持ちは自宅に風呂を持ち、町には銭湯が生まれ、江戸時代になると現在の銭湯に近い「湯屋」が増えていくが、それでもまだ半分は蒸し風呂。つまり下半身だけ湯に浸し、上半身を蒸気で蒸す“戸棚風呂”というスタイルが主流だった。

 蒸気で浮いた垢を洗い場で洗い落とすこの入浴スタイルは、燃料や水不足を補う智恵。のちに“据え風呂”に“鉄砲風呂”、“五右衛門風呂”と様々な様式の風呂が生まれたのも、日本人の発想の豊かさと手先の器用さがもたらした多彩な風呂文化と言える。

 江戸中期には二階に娯楽場のある健康ランド的湯屋が朝から晩まで営業。湯屋の奥には、ちょっと死角になった薄暗い“ざくろ口式湯屋”があり、当時はまだ混浴、やはり風紀上の乱れがあったことから、明治時代には廃止になったが、そんなところまで古代ローマ風呂そっくり。それってやっぱり風呂が辿る宿命なのだろうか。

2024.11.18(月)
文=齋藤 薫(美容ジャーナリスト)

CREA 2024年秋号
※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。

この記事の掲載号

楽しいひとり温泉。

CREA 2024年秋号

楽しいひとり温泉。

定価980円

CREAがはじめてひとり温泉を特集して7年。当時は「女性がひとりで温泉なんて!」と驚きを持って受け止められたこのテーマも、いつか珍しくない光景となりました。そして8年目となる今年、「ひとり温泉」は次なるフェーズへ。コロナ禍を経て、進化する“温泉地”を舞台に、めぐる旅を大特集します。いまこそ、めぐるか。それでも、こもるか。さあこの秋こそ、楽しいひとり温泉へ!