イタリアと日本を行き来し『テルマエ・ロマエ』を描いた漫画家ヤマザキマリさんと、フランス滞在経験もある脳科学者の中野信子さんが、新型コロナを通して見える文明について語り合った。
お二人の著書『パンデミックの文明論』から熱い会話を抜粋。
手洗いヨーロッパ地図
中野 2015年にギャラップ社が調査した、ヨーロッパの国別の「手洗い率」のデータがあるんです。トイレに行った後、水と石鹸で手を洗うと答えた人の割合なんですが、ドイツはさすがに高く78パーセント、前章で話に出たポルトガルはもっと高くて85パーセントです。反対に低いのは、イタリアの57パーセントとオランダの50パーセント。
ヤマザキ そういえば、イタリアの公衆トイレに入っても手洗い場では石鹸もなければ水も出ない、なんてのはザラですね。女性も手を拭くためのハンカチを持ってない。
中野 悪いと思っていても、身についた生活習慣はなかなか変えられないものです。今では感染を防ぐためには手洗いが大切だということは世界中で知られていますが、その重要性が科学的に分かってから百年もたっていないんです。
手洗いの重要性が発見されたきっかけは、産褥熱(さんじょくねつ)なんです。産後のある時期、分娩時の傷からの細菌感染により2日間以上母親の発熱がつづくものですが、この病気は医師の手洗いによって死亡率を1パーセント以下にできるということを発見した人がいるんです。清潔な水が潤沢に使えるかどうか、それは文字どおり死活問題なんですよ。
これはセンメルヴェイスというハンガリーの産科医師の功績で、彼は170年以上も前にこのことを明らかにしたんです。けれど、手洗いくらいで産褥熱が防げるわけがないと、当時の名だたる医師たちから集中砲火を浴び、排斥されたんですよ。最後にはなんと、頭がおかしいと病院に閉じ込められて、そこで暴行を受けて死ぬんです。
ヤマザキ エッ、ひどい!
中野 人間って、理性で言い訳をしながら、感情が暴走するままに異質な主張をする者を排斥し、追い詰めてしまうんだなって改めて思いますね。
学者や医師という科学の徒でさえもそうなのだ、ということには、心底ゾッとします。
2020.09.07(月)
文=ヤマザキマリ・中野信子