正直、子どもの頃はファンタジー小説が好きだった読者も、大人になるとどこか異世界や魔法の能力を遠ざけてしまうことが多いのかもしれない。しかし私は、そんな異世界のことを忘れてしまった大人にこそ、『香君』を読んでほしい。これは現実に生きる大人こそが読むべきファンタジー小説だからだ。この小説は、つい忘れそうになってしまう草の香りや虫の音や風の感覚や土を踏みしめる感触を、たしかに思い出させてくれる。そしてアイシャとともに、読者はページをめくるたび、ウマール帝国の世界へ入り込むことができるのだ。

上橋菜穂子最新作『香君』、待望の文庫化。 全4巻のうちの1巻、2巻が24年9月4日に刊行された
上橋菜穂子最新作『香君』、待望の文庫化。 全4巻のうちの1巻、2巻が24年9月4日に刊行された

 上橋菜穂子さんの描く世界は、いつだって私たち読者に物語の感触を呼び起こさせる。それがいったいどういう魔法なのか、私はいまだに分からない。どうしてこんな小説を書けるのだろうと不思議でならない。ただ分かるのは、きっとアイシャが普通の人には聴こえない香りの声を聴くことができるように、上橋さんも普通の人には聴き取ることのできない物語の世界に耳を澄ましているのだろうということ。上橋さんの聴いた物語が本作には詰まっている。だから私は夢中で『香君』のページを、そしてこれからもきっと上橋さんの綴る物語のページを、めくり続けてしまうのだ。

【プロフィール】
三宅香帆(みやけ・かほ)

文芸評論家。京都市立芸術大学非常勤講師。1994年生まれ、高知県出身。京都大学大学院博士前期課程修了。近著『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』がベストセラーに。その他著書に『人生を狂わす名著50』『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』『名場面でわかる 刺さる小説の技術』など多数。編著に『私たちの金曜日』。

香君1 西から来た少女(文春文庫 う 38-2)

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香君2 西から来た少女(文春文庫 う 38-3)

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2024.09.15(日)