しかしそれから十年ほどを経て、佐藤賢一氏の『最終飛行』を読み、私は目を見開かされる思いだった。
それは、彼女が怒りすら込めて『星の王子さま』が大嫌い、と口にした気持ちを重ねてなぞり、私自身の心にわだかまっていたものひとつひとつを解きほぐすような、鮮烈な体験でもあったから。
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佐藤賢一氏の愛読者の方々に、あえて私が述べるまでもないだろうが、彼の筆を通すと、それがどんな人間であれ、私は目を離せなくなる。
シャルル・ドゥ・ゴール(この本にも登場する)にしても、ナポレオンにしても、あるいは、フランソワ・ベトゥーラスにしても。私はページを繰るうちに、否が応でもそこに惹きつけられてしまう。
好きとか嫌いとか、そんな話ではない。人間というものの複雑さに、傲慢さに、不完全さに、どうにも私は心を鷲摑みにされてしまうのだ。
この度の、サン・テグジュペリもまたしかり。
「恐ろしく美しい」「信じがたく可愛らしい」妻のコンスエロへの態度たるや、もう私は読みながらじりじりする。
彼は彼女にあれこれ指図し、彼女を彼が決めた場所に留まらせ、会いに行くからと約束をしておきながら、やっぱり別の女のところへ飛んでゆく。
いや、妻だけでない。まわりの人たち全てに対するその態度に、じりじりを通り越し、私ははらはらさえする。
ひとたび議論をはじめれば「完全に論破してしまわないと気が済まない」。
昼夜逆転、真夜中に大声でディクタフォンに向かって喋りながら原稿をしあげ、できあがった原稿は相手の都合などおかまいなしにすぐさま読んでもらいたがる。
私は、繰り返し、かつての女友達と声を重ねるようにして、「大嫌い!」と、心の中で叫び続けてしまう。
しかし、どうしたわけか、なぜか、どうにも、憎めないのだ。
愛人のネリーは、言う。
(ちなみに、彼女は、戦中はるばるロンドンからアルジェまで訪ねてきたにもかかわらず、到着するなり、歓迎されるより先に作品を読めと強要され、疲れたから読むのを休みたいといえば、作品がつまらないのか、と詰めよられる!)
2024.09.02(月)
文=小林 エリカ(作家、アーティスト)