「あなた、相変わらずの王子さまだから」

 彼女は彼をそう評す。

「ええ、王子なの。素敵なくらいに我儘なの。高い理想を求めてしまうのも、そのためね。うまく受け入れてもらえなくて、そのたび傷ついてしまうのも同じこと」

 彼は、この社会の正しさに、囚われない。囚われないでいたくて、あがく。あがき続ける。

 あたかも、飛行機で空へ舞い上がれば、そこから逃れられるかのようにして。

 実際、空から俯瞰し、地に見えるのは、国境ではない。

 ドイツ軍を偵察しながらフランスを飛んでいるうちに、気づけばイタリアへ到達していたように、そこにあるのは、山であり、海であり、街の光なのだから。

 しかしこの地では、社会の正しさを主張し合う戦争が起きていて、彼はそこへ引きずり込まれてゆく。

 だから、飛びたい。飛ぼうとして、あがく。

 私は、彼の、素敵なくらいな我儘さと、まっすぐなあがきに、羨望を覚える。それと同時に、まわりの人たちを慮っては、結局、王子さまみたいには振る舞うことのできない、私自身の平凡さと不甲斐なさにも苛まれる。私の中にあるわだかまった感情は、そうして、ひとつ、また、ひとつと、ときほぐされてゆく。

 その背後には、フランスやアメリカ、アルジェリアの街々、アンドレ・ジッド、ジャン・ルノワールをはじめ、作家や映画監督、飛行機乗りや、恋人たち、登場人物のひとりひとりが、うねるような歴史が、仔細にちりばめられる。

 その描写の丹念さは、あたかも地図に、小川を書き込んでゆくこと、その小蛇のことを、忘れずにいる、ということを目のあたりにするようでもあった。

 努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ。

(『人間の土地』サン=テグジュペリ 堀口大學訳 新潮文庫)

 この本を読み終えたいま、素敵なくらいに我儘でありたいと、空を、高みを目指し、不器用にあがく彼の姿は、私の目には、どこまでも高貴に、この地を照らし光かがやいて見える。

最終飛行(文春文庫 さ 51-4)

定価 1,320円(税込)
文藝春秋
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2024.09.02(月)
文=小林 エリカ(作家、アーティスト)